戦争とジャーナリズム
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戦争と立場 戦場は恐ろしい。 1984年4月3日、私は激しく戦闘が行われているレバノンのベイルートにいた。その年の2月6日、イスラム反政府勢力は一斉蜂起をし、ベイルートに総攻撃をした。政府軍も反撃をし、6日間の市街戦で一般市民257人が死亡、900人が負傷した。ベイルートで市街戦が行われた2日間だけで、157人の一般市民が死亡、負傷は600人である。政府軍は死者22人、負傷者197人と公表しているが、反政府軍からの発表はない。その時、ベイルートには外国大使館も、外国報道機関も一切なかったのだ。
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歌舞伎の愉しみ方
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歌舞伎というと決まり事が多く、初心者にはとっつき難いような感じがするかもしれない。たとえば黒衣を着た黒子はまったく存在しない立場だという決まり事だから、舞台上でどんなに目についてもそこにいないということになる。また舞台の穴から昇ってきたり引っ込んだりするせり出しは、場所によってはこの世に存在しない幽霊だという決まりがあるが、地方によってはせり出しのない舞台もあり、その通りにはいかない場合もある。だから気にすることはないのである。
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生活に心理得る道元の教え
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立命館大で行われている今年度のリレー講義「日本文化の源流を求めて」(読売新聞大阪本社後援)。
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どこまでも同じ街並だ
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アメリカ発の金融危機で今年は暮れてゆく。明けても、危機はまだつづいていくのだろう。株投資など行っていないほとんどの人々は、自分がいったい何をしたのだという思いが強いだろう。
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働く姿を見せる
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母の言葉が耳に残っている。
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こっれでは息が詰まる
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野良犬の姿を見なくなって、何年たつだろうか。現在の東京では、野良犬が生存できる空間は全くなくなってしまった。野良猫、つまり飼い主がいずに外で暮らす猫も、私が暮らす渋谷区では激減したという印象である。
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死忌む固定観念との闘い
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米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した「おくりびと」を観て、青木新門「納棺夫日記」思い出したが、うかつなことに私は主演の本木雅弘がその本を読んで感銘を受け長年企画を温めていたと、後に知ったのだ。納棺夫という体験から死を凝視した「納棺夫日記」は、十年以上前に読んだ私にも消え難い印象を刻んでいた。
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子供の庭
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一番大切なのは、日常的な感覚である。自然を子供に見せるにしても、頑張ってわざわざ遠くに行くよりも、身近なものが尊い。知床や白神山地や屋久島にいかなくても、充分に自然は見える。
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「生と死」がある場所です
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牧場というと、都会の人は、広々とした牧草の中に牛がいて、すごくさわやかなところをイメージしますよね。でも行ってみると、実は臭いし、ウンコもたくさん転がっていて踏んでしまう。
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首里城古事の森
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日本の神社仏閣の多くは木で建てられている。木造文化の源である森林が荒廃し、ヒノキなど直径1メートルを超える大径木が希少になってきた。これでは補修もできないではないかと危機感を持ったのは、私が毎年参加している正月の金堂修正会を法要中の、法隆寺金堂においてであった。
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愚が山を緑にする
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足尾銅山は私の母方の故郷である。そもそもが明治中頃に、私の曽祖父が兵庫県の生野銀山から移ってきた。一攫千金を求めて再開発された銅山に渡ってきたのだろう。関西の片隅から関東の田舎にきた事情の詳細はわからないながら、私は二十数年間生野に通って菩提寺なども探しあて、周辺の資料を集めて、曽祖父の時代の鉱山開発の様子を小説にした。『恩寵の谷』という作品である。
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お盆という行事
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「孟蘭盆経」により、目連が母を救うため餓鬼道にいったという物語が、盆という習俗の根拠となっている。盆とは、祖霊の死後の苦しみを救う行事である。祖霊、新仏、無縁仏(餓鬼仏)にさまざまな供物を供え、成仏を願う。墓参をして、霊を家に連れてきて仏壇前で霊祭りを行い、僧が棚経にまわる。陰暦七月十三日から十五日の間、死後の世界にあった霊がこの世にやってくるということである。農事のつごうから、八月に行う地方が多い。いつしか正月に次ぐ大行事になった。以上が盆についてのあらましである。
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楽しい愚行2万キロ
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こんなことを考え、実際に実現してしまう人がいるのだなと驚いたのが、『時刻表2万キロ』を読んだ時の私の卒直な感想であった。旅の空の下にいることの多い私は、自分でも鉄道に乗る時間が多いと思うのだが、JR全線完乗など考えたことはない。それを実現したとして、一体それがなんになるのかという思いが、どうしても先に立ってしまう。旅はもっとゆっくりとして、まわりの景色を楽しみ、うまいものを食べて、土地の飲み屋のおばちゃんなどと楽しく語らってくる。それが楽しみなのに、国鉄全線完乗という意味もない目的のために、休日をことごとく漬し、ただただあわただしく列車に乗ってくる。
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道元の料理
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道元の「典座教訓」(てんぞきょうくん)は何度読み返しても味わい深い。
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生き方の応援
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芭蕉が奥の細道の旅に発足したのは元禄二(1689)年、四十六歳の時である。
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ある転職
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北海道の根室半島の付け根のあたりに位置する別海町は、いわば日本の一番端である。農業と漁業でしか成り立ちようのない町であるが、日照時間が少なくて、低温である。田畑でつくれる作物というのは、牧草ぐらいでしかない。農業は畜産をするしかなく、酪農家が大部分だ。一軒で百ヘクタールもの土地を持ち、牧草やテンドコーンなど自家飼料をつくり、別海は日本一の酪農地帯である。
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与那国島の変化
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沖縄県与那国島に援農隊がはいって、今年で三十年である。そこで今年の砂糖キビ刈りが終わったばかりの二〇〇五年三月二十六日、与那国島離島松倉センターで「援農隊受け入れ三十周年式典祝賀会」がおこなわれた。
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サルの襲撃
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冬の陽だまりの田園地帯を車で走り、人影をめったに見かけないことが多いことに気がつく。里山の間に美しく整えられた田んぼは、広い面積がとれず、機械がはいらない。見た目には美しいのだが、人に難儀を強いる。人の力が必要とされるのである。
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栃木定住への誘いの会
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先日、東京都港区にあるパストラルで、栃木県と県内市町による栃木への定住を誘う「とちぎ暮らしセミナー」があった。栃木県宇都宮で生まれ育った私は、栃木のよさを話すようにと招かれた。もちろんすべての地方によさがあり、誰でも知っているような観光地のPRならともかく、定住を誘う話というのは難しい。
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牛乳大使になった
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一年中いろんな日があるのだが、六月一日は「世界牛乳の日」というのだそうだ。これは国際連合食糧農業機関(FAO)が決めた。その日、私は(社)日本酪農乳業協会から牛乳功労賞を贈られ、牛乳大使に任命された。思いもかけないことであった。
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花づくりに追われて
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定年帰農してからどんな作物をつくればよいだろう。ハクサイや大根などの重量作物は腰に負担がくる。米つくりは簡単だが、機械などの負担がかかる上、収入を考えるとそれ一本というわけにはいかない。
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農民詩人
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木村迪夫さんは、山形県上山(かみのやま)で農業をしなから詩を書いている。昔からのものいわぬ農民てはなく、ものいう農民詩人である。教師たちが子供に作文指導を積極的にはじめ、大いなる成果を上げたつづり方教室の影響を受けている。
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今、植村直己さんがいたら
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冬のアラスカでマッキンリーを眺めながら、植村直己さんのことを考えたことがある。麓でさえ零下二十度とか三十度になるのに、あの氷の山に単独行で登ろうというのは、私などには憧れにすぎない。冬のマッキンリーは、これから先も永遠に植村直己さんの墓標でありつづけるであろう。そう思った。
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巨樹に力をもらう
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巨樹に力をもらう 巨樹というのは まず人間の生命を越えた遠大なる生命力を感じさせてくれる 一本で森のような巨樹もあれば、天に向かってすっくと立っている巨大な樹木もある。いずれも生命力をもらったような気分になり、そばにいるだけで力が湧き上ってくる。
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深い人間愛を抱く
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特攻に散った穴沢少尉の恋 秋の知覧特攻平和会館にいった福島泰樹は、沖縄特攻て散華した一〇三六人の写真、遺書、遺品を見ているうち、穴沢利夫という人物の日記を掲載した黄はんた雑誌の切り抜きの前に釘付けになる。それが本書をめぐる七年もの旅のはじまりであった。
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私を支えたくれたこの言葉
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たくほどは風がもてくる落葉かな
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植林活動
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僕は、特にエコ活動をしているわけではないけど、約15年、栃木県の足尾に木を植えています。母方が足尾の出という縁もあって、足尾での活動は長いのですが、完全破壊されて表土さえなくなった山を回復する取り組みをやっているわけです。これは個人の活動というより、みんなで始めたことで「足尾に緑を育てる会」というNPO法人を作って顧問をしています。最終的には100万本植えようという計画で、今まで約9万本植えてきました。あくまで民間のボランティアだから最初はお金がなくてね。「心に木を植えましょう」って呼びかけをして、苗や土や弁当、スコップ、長靴、なんでも持ってきてください。来た人全員から1000円頂きますと。そうした取り組みをして、だんだん人も増えて、今は盛んな植林活動になってます。実際山か緑になってきて、みごとな森になってきました。
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