あるままで、一切ムダのない、大自然。
その中には、ちゃんと、人間も組み込まれている___。
知床の森、川、海が、そのことを教えてくれます。
サケ、ヒグマ、ワシ、キツネ、人間…。
知床では、すべてが連鎖し合って、みごとなバランスを、保っています。
そうですね。まず、知床の生態系の頂点に立っているのは人間です。人間が、サケ・マスの孵化事業を行って、稚魚を川に放す。放された稚魚のなかで、大自然を生き延び成長したものが、4、5年すると知床の川に産卵のために戻ってくる。それを、ヒグマやオジロワシ、キタキツネなどがとらえて生きる糧にします。そして、彼らによって森に運ばれ、食べ残されたサケやマスが、栄養となって木々を繁らせ、森をさらに豊かにする。豊かな森は天然のダムになって、降った雨をゆっくりとろ過してから川、そして海へと流す。だから、知床の川も海も、実にきれいです。
漁師が、クマが、流氷が、大切な知床の海と生態系を、守っている。
知床の漁師はと.アマを殺しません。後から侵入してきたのは自分たちだということをよく知っているからです。クマも漁師が害を加えないことを知っています。彼らは触れ合えるほど近づいても互いに干渉し合わず共存しています。そして、クマは漁師が殖やしたサケ・マスを食べ、森に運んで土壌を肥やし、結果的に、漁師にとって何より大切な海を守っているのです。
知床の海、特にオホーツク海側は、流氷のため、冬は漁ができません。北の海の冬の漁の中心はスケソウダラ漁で、知床でも流氷の比較的少ない太平洋側では、非常に盛んでした。ところが、最近はスケソウダラが激減した。オホーツク海側では、このスケソウダラも、流氷によって守られています。流氷は、生態系の頂点に立つ人間の営み、漁を一時的に妨げることと、アムール川の植物プランクトンを閉じ込めて運んでくることによって、二重に知床の海を豊かにしています。これによって海の生態系のバランスも保たれ、クジラやイルカも生きていける、恵まれた環境が維持されています。
流氷はまた、冬に海から吹く風を遮ることで、森を塩害から守ってもいます。
自然は、不変。ただ、自然の見方を変えるのが、人間の知性…。
こうした一切を、自然は何一つ隠していません。すべては善悪を越えて、あからさまに存在しています。季節の恵みのなかで、一切何のムダもないんです。そういう自然の姿は不変のもので、ただ人間の知性が自然の見方を変えていくだけです。僕は知床で、そのことを大きく学びましたね。
知床の自然を楽しもうとする人は、知識に裏打ちされた、いのちへの思いやりを持ってほしい。
そうすれば観光地としても素晴らしい場所になります。
知床が世界自然遺産に登録され、観光客が一層増えました。自然に与える影響も心配されているようですが?
観光客の間違った行動の一つは、野生動物にエサを与えることです。たとえばキタキツネがいると、すぐに人間はエサをやってしまうんですね。それも、味のついた、野生の世界では食べたことのない、とんでもなくおいしいエサです。もらったキツネはその味が忘れられない。道の端で、車がやって来てエサを投げてくれるのをひたすら待つ生き方を始めます。知床にはそんなキツネがいっぱいいますよ。秋になって車が来なくなっても待ち続ける。冬になってもまだそこにいる。エサの捕り方を学んでないから、結局は飢え死にしていきます。中途半端なヒューマニズムは、そんなふうにとても残酷です。
観光客は節度ある自然との交流を。
知床が世界自然遺産に登録されたことで、エコツーリズムも盛んになって、今後、知床の大自然に足を踏み入れる人も大きく増えることでしょう。キタキツネだけでなくすべての野生動物に対して、間違った行動をとらないように十分に気をつけたいですね。たとえばシマフクロウ。これは絶滅危惧種で、絶滅を防ぐためにもその生態の研究は大変重要です。だから、研究対象となっている場所には地元の人も足を踏み人れません。観光客もそうしたマナーをわきまえて、節度ある自然との交流を心がけなくてはいけないですね。
受け入れ側も基準づくりを進め、みんながルールを守って、観光地としても素晴らしい場所にしていければと思います。
知床の自然を守ってきた漁業や農業が、観光業と手をたずさえて発展していければ…。
それを可能にするのは、多くの知床ファンたちです。
ほかにも、立松さんが、愛する知床のこれからに対して、願われていることはありますか?
第一次産業が元気でないと、自然は守れない。
これは、知床に限ったことではないのてすが、日本人は伝統的に、農業、漁業、林業といった第一次産業を通じて自然から恵みを受け取ると同時に、自然を守り育ててきました。だから、第一次産業が勢いを失うと、自然を守り続けていくことはできません。特に知床には、人間を含んだ完璧な生態系があるわけですから、人間を排除することはかえってマイナスです。世界自然遺産に登録されるに当たっても、一時、浜から何km以内は網を入れさせないようにして漁師を排除しろという話になりかけました。そのとき、漁師の一人が私に、「俺たちが自然を大切にしてきたからこそ世界自然遺産にも登録きれるのじゃないか。世界自然遺産になるからといって、何か新しいものをつくるということではないはずだ」とつぶやいたんです。これはまさしく正論です。ツーリズムは第一次産業を押しのけてではなく、第一次産業の上にのっかって盛んになるべきで、本当は、ツーリズムと第一次産業が互いに補完し合うようになるのがいちばんです。
例えば、知床では今、大量のサケやマスが獲れるのに、ノルウェーなどからの輸入が多くて値段が大きく下がってしまい、漁がビジネスと成り立たなくなる寸前まできています。そこで大勢の観光客に、地元産の新鮮なサケをおいしく食べてもらうことができれば、観光客にとってもうれしいことだし、地産地消によって漁業が元気づきます。また、観光客が知床の自然に触れて、知床のサケ・マスを食べれば知床の自然も守られるのだということを学んで帰れば、日常の食材として使う機会も増えるかもしれません。本当にそうなってほしいと思いますね。
暮らしに密着した、知床の農業も。
農業も、知床の農業は小麦とじゃがいもとビートの輪作が中心ですが、もっといろいろな作物をつくって観光客にも喜んでもらいたいと考えて、8年ほど前、知床の農業青年といっしょに「知床ジャニー」という会社をつくりました。
僕は知床のみごとな生態系に魅せられて、ここに丸太小屋を持って足繁く通うようになった。そして農業青年たちとも交流ができたのですが、彼らがやっている。同じ作物ばかりを広大な土地で大規模に育てる農業だけでは、どうも物足りなく感じたんです。もっと日々の暮らしに密着した野菜などもいろいろつくった方が、農業の喜びが深まって、知床の第一次産業はいっそう元気になるだろう。そう思って、農業青年たちに提言すると、ぜひやろうじやないかということになつた。それぞれ本業である大規模農業場を抱えているので思ったようには進みませんが、今もふたりの農業青年が頑張ってくれて、キャベツやねぎや大根などを減農薬でつくり、宇登呂のホテルから朝注文を受け、昼ごろ持っていくというようなことをやっています。愉送コストの問題もあってささやかな規模ですが、僕が橋渡し役になって、東京の市民流通団体などを対象にした通販にも取り組んでいます。農作物だけでなく、サケ・マスの売り上げに少しでも寄与できればと、吟味した新巻き鮭なども扱っています。
守っていきたい、知床の完璧な生態系。
これからは、漁師や農業がこれまで以上に元気に仕事をして自然を守り、観光客は知床の自然を正しく学んで、海の幸、山の幸を含めた自然の魅力を存分に楽しむ、そんな知床になってほしいですね。そして、地元の人と、これからどんどん増えるであろう知床のファンが一緒になって、世界にも稀な、人間を含む完璧な知床の生態系を守り続けていけたらと願っています。
「ステーション」2005年12月号
発行:生活協同組合コープこうべ
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