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『赤坂憲雄氏の日曜論壇・地域の風景を掘り起こす』

 わたしの手元に「寿辞大工・植田家と浪江町の歩」(新宿書房刊)とだいされた写真集がおかれている、編集はウエダ建設社史編纂室、写真は長谷川建郎とみえる。どなたが手配してくださったかはしらない。寄贈されたものだ。タイトルの寿辞は「よごと」と読む。大工の棟梁が、上棟式で読み上げる祝詞のことだという。はじめに浪江町で五代にわたって建設業を営んできた植田家の百年の歴史が、古いアルバムのなかの写真とともに辿られている。それから震災の後に植田家とのかかわりが深い建物や場所を訪れて撮影された写真が掲載されている。表現としては抑制され、記録に徹している気配はあるが、何枚かの写真に、とりわけ強く心を揺さぶられた。巻末の「植田家と双葉郡の近代」(島原学)は、双葉郡はかつて「福島のチベット」と呼ばれていた、という言葉とともに始まる。そして、最後の一節には、「これから訪れる未來がどのようなものかを予測する術はない。ただ一つ言えるのは、時代に翻弄されつつも、植田家はその仕事によって地域の風景をつくってきたということだ」とみえる。この写真集は、過去にたいする感傷で曇らされてはいない。たしかに、東日本大震災による地震・津波と原発事故によって、植田家の人々が創ってきた「地域の風景」の多くは失われた。いかにして復興が可能なのか「予測する術」など、どこにもない。それにも拘わらず、ここには、一族の辿ってきた百年の歴史=物語に向けてのひそやかな愛惜とそれゆえの再生への静かな意志と真っすぐに感じられる。
  思えば、この一族に連なる人々は、「時代に翻弄」されながら、幾度も、したたかに復活を遂げてきたのである。これからの百年の歳月をかけて、もう一度復活すればいいといった声が写真集の中にはこだましている気がしてならない。双葉郡の未来を語ることは、とてもむずかし。しかし、その「地域の風景」を織りなしてきた人や家族や地域にかかわる、小さな記憶の群れを掘り起こし、それを記録にとどめることの大切さは、しだいに多くの人に気づかれつつあるのではないか。(中略)いまこのときに寿辞が読み上げられる。それはきっと新しい家が建てられ、新しい地域が創られてゆく、始まりの声だ。再生への祈りでもある。
(2014.8.31福島民報)



『伊藤家の千恵さん』

 しばらく連絡を頂いていなかった千恵さんから、4月から幼稚園に勤め、二年越しで幼稚園の先生の免許がとれたと電話が来た。
  青山入学、就職、農大入学、就職と忙しい生活を繰り返していたのだが、今度は長い就職になるだろうか。農大入学、卒論当時はあちらこちらのおばぁさん宅に泊めて頂き、舘岩に根ずくのかなとも思うほど入りびたりした娘も、新しい人生の再出発をしていた。
  今度遊びに来るときには、多くの同僚を引き連れてくるに違いないと信じましょうか。