『降雪は災害だ』
全国的に冷え込んだこの三日間で1mもの積雪となり、茅屋根も、トタン屋根も見事なまで雪帽子をかぶり、晴れた今朝方は一段と見事な雪景色となる。
写真に収めたい風景も生活となれば別物で雪おろし、雪かたしの労働は、機械があるとはいえ特に高齢者には年ごとに重労働になる。
この大雪のさなか三日間、朝3時に起きて郡山へ向かった。朝3時過ぎでは国道、町道の除雪も間に合わない。昨夜遅く通行したと思われる、わずかに残る車の跡を道しるべに走らせるが、舞い上がる雪に走行を妨げられ幾度となく停車し、峠を越えるだけでも倍の時間を要した。この日に体調が悪くなった方がいたなら「運」が悪いではすまないが、救急車の出動もままならないだろう。
突然の災害は準備が無理でも、今回の気象情報なら雪が降ることはわかっている。台風時のように「長」が道路路網の確認、確保を指示すればいいだけなのだが、除雪体制が整わない現状に腹を立てることが、今年は少なくなるといい。
『前沢集落冬物語の開演』
普通の観光イベントなら、県や、町からの助成金で補えるが、前沢集落は賛同者が集い、新たに「冬物語 ほのぼの窓灯り」を展開する。と言っても、街路灯に、室内灯を灯してほんわかと浮かびあがる曲家、こぼれる障子戸の灯りを演出しようとする質素なイベント計画なのだが、それでも電気料がかかる。電気料を補てんできる金銭的原資もない。独自に集落が行う理由は?。「ただ、雪の前沢、夜の夜景をみてほしい」説得力に欠ける。それでも賛同者からは、投光器を使おうか。ろうそくも灯してはどうかと提案を頂きながら、予定した十数日には到底及ばない三日の実施とすることにした。
一月連休初日の土曜日、年中行事「歳の神」の十五日、そして立松氏の命日二月八日だ。川むかえの展望台から望む、賛同者が灯すおもてなしの「ほのぼの窓灯り」に、多くの見学者が訪れて前沢集落の新しい物語を感じて頂けるよう願う。
大きなことはできなくても、小さなコミュニテイは確実に前へ進んでいる。前沢に根づこうとする「和平文庫」も、立松さんがよく話してくれた「貧者の一灯」でありたい。
『千葉の市村社長』
ゴルフをやるかと聞かれたら、やらないと答えている。昔~昔通販のゴルフセットを購入しコースにも出ていたが、付き合いがままならなくなり自然と遠のいている。職場では未だに元気な人たちが徒党を組んでいるようで、「やらないで」は幾分気が引けている。始めた当初職場では少数派で、休んでゴルフかと言われ、地元のキャデイさんからも、いいなゴルフができる身分でと、ゴルフをする奴は「悪」なようなレッテルを貼られていた。少々ゴルフ仲間が増えると、やらない者が「悪」となるのだから世の中である。近所の大工、光則さんはゴルフ歴も長く、中々の腕前で年間のゴルフの回数も半端でない。ゴルフ関連会社を営む市村社長や名医鈴木先生など人脈もかなり広範囲だ。皆から、社長と慕われる市村社長は幾度となく「たかつえカントリークラブ」で大きなコンペを開催して頂いていたのだが、残念なことによそのゴルフ場での開催となっている。これも「人」の繋がりを壊す輩が存在する。コンペを開催しないまでも、市村さんは「たかつえ」に足を運んで下さる。それは光則さんたちのゴルフ仲間と、郷土食のおもてなしに他ならない。光則家は父母が亡くなり、母の妹キミエさんがおもてなしを務める、村一番の蕎麦打ち名人だ。
食堂でもない光則家での、郷土食で囲炉裏を囲むいつものスタイルこそ、市村さんが舘岩にくる一番の理由だ。訳ありの私は「圭と空」の親として、最近ようやく宴会仲間に加わった。舘岩を思う市村さんの熱弁はいつも囲炉裏のように温かくありがたい。
『スイスからの同級生』
年末からシーズンを迎えるスキー場にとって今回の大雪は助けに船だ。村の人さえ難儀な雪でも、毎年スキー場が間に合う分降ればいいと願う。それほどスキー場の営業は地域へ大きな影響があることを知っているからだ。
今年はしばらくぶりの珍客が来る。スイスに留学中の鈴木先生の息子さんだ。空と同級生のこともあり、小学生の頃から年末は一緒にスキーを楽しむ間柄で仲がいい。
娘はアルバイトで帰京しなく、親戚に不幸が続き新年の祭りごとをできない我が家にとってはまさに「正月」だ。夜更かしとスキー三昧の毎日になろうが、空自身も大学の進路を迎える年の初め、世界に飛び出している友人から、大いなる刺激をうけることを楽しみにしているに違いない。
『どちらが残るのか』
「限界集落」なる言葉がある。一人暮らし世帯が多く高齢化率も高く、集落コミュニテイが維持できなくなることのようだが、小さな集落どころではない。職場からの帰り道商店の灯りがついていない事に今更ながら驚かされる。舘岩村が亡くなる。財政難を理由に、平成18年田島町、伊南村、南郷村、舘岩村の1町3村の平成の合併町村「南会津町」が生まれた。神奈川県にも匹敵する県内2番目に大きな面積を有する。国会で北海道の道路建設を巡り、首都圏の議員さんが「熊しかいないところに道路はいらない」などの発言が大きく取り上げられた記憶があるが、まさに人がいなくなることはそのような論となる。
スキー場が開発された当時、別荘、ペンションが立ち並び、息子、娘も戻り所帯を持つようになると人口も右肩上がり。人口が減少しないのではなく増加したのだから勢いがあった。奥会津書房の遠藤さんは、私たちの頃は子どもの為に、先生や親が一緒になって勉強して出なさいと教育し、今は村の為に戻ってきなさいとお願いしている。
どちらも正論であるからどうしようもない。
合併から10年も過ぎない、甘い蜜「特例債」なる補助金につられた集合体は、大きな過疎地として、行く先さえみあたらないが、「日本で最も美し村」連合体は、小さくても地域資源や景観を維持しながら自立を目指して頑張っている。
『まだまだ現役でいたい』
舘岩中には一昔前なら花形の野球部が存在しない。それでも小学生はソフトボールを元気に追いかけている。まだまだ地域の親世代は野球少年だ。空たちも同級生全員が野球部なら強いチームにもなっただろうが、一年生、女子部員を入れてようやく9人のチームでは、上の大会にも全く縁もなく、息子たちは最後の野球部員となった。息子は野球の強い高校に入学したものの排球部に入部した。親の目からは高校でも十分通用すると思っていたが、弱小チームにいた本人にすれば、なかなかふみきれなかったようだが、下宿にはグローブとバットを持ち込んでいるのだから未練はあるのだろう。入部した排球部は県内の4強で強かったが、新チームになると反動で2年生が一人、素人の空二人を含んでチームとなる最悪状態が3月まで続き、新入生が入った現在は守備専門のリベロで頑張っている。
「たまに野球がやりたいなぁ」息子のつぶやきに、昔の往年選手を集めて野球チームを立ち上げ、お盆には、同級生や、地域チーム対抗の野球大会も予定する。
校庭でソフトボールを追う小さな後輩たちにも、野球のできる環境を取り戻したい。
球春は雪解けを待つ4月下旬になろうか。