『歳の神』
舘岩で、湯ノ花・八総の2か所で例年行われている年中行事「歳の神」が、前沢集落で初めて行われた。
2地区と違い、稲わらや茅は準備不足であったのだが、集落の茅屋根の修繕を手掛ける「茅葺き屋根を守る会」の草野代表から間に合うだけの資材を頂き何とか恰好がついた形になり、沿道にはろうそくで雪明りを演出、みかんやあま酒が振る舞われ参加者が一年の無病を祈りながら餅を焼いた。
日曜日、雪にせわしく追いつかれるように多くの参加者が来ることを願いながら、来年1月15日の「歳の神」の準備は村中あげて完了している。
『病と向き合う』
家族の中に病を抱えている者がいれば、家は何となく暗くなる。病を抱える本人が一番辛いのだが、周りで支える家族もまた病との戦いになる。
身近でそんな相談を受けていたところ、一緒に登山をしていた若き仲間から久しぶりに連絡が届く。
友人は勤めていた会社を退職後、大学に編入して新たな道へと船出し希望の職へ就いた。順風な生活を過ごしていたはずが、病で実家に戻っていると言う。
電話口で元気に話す友人の言葉にうなずきながら、返事にならないこちらの日常をお話する。
「そうですかもう雪ですか、赤かぶの時期ですよね、あれ美味かったなあ」。
新しい職についてからもう何年も来ていない。懐かしさが伝わってくる。通院しながらの生活は楽しかろうはずもなく、一本の電話に「何」を伝えることができる。住所を再確認し、少し送ると約束した赤かぶに、蜂蜜と効能があると聞く野草も入れた。
まもなく華やかなクリスマスの曲が流れ、新しい年を迎える。年末、支えになるとも思えないが、みんなで歩いた山の小冊子と、心ばかりの手打ちの年越し蕎麦を届け、病と向き合う友人にエールを送ろう。
『一緒に土にかえる。 』
和平を囲む会「わっかの会」も、氏が亡くなると後を追うように、一人一人と訃報も届き誰が休んでいる、入院だと。
今まで夏は篠井、正月は市内で開催されてきた「会」も休会状態だ。会の多くが団塊世代、栃木県民が狂う「チタケ」取りや、退職と同時に始めた農園へも足が向かないと聞くと益々寂しくもなる。
大きな「柱」は棒倒しのようにまた立つことは無いのだが、心が折れてどうする。
先日、親戚の法事で、納骨も一緒に行われた。10年前に亡くなった夫の遺骨は骨壺に入れられたままになっていて、今回妻と共に骨壺から白い布に包まれ土へと埋葬された。
直会の席、先に逝ったら一緒に土に返してくれと願う者いれば、いやだと嫌う面々もあり、まじかに迎えるであろうその日を思い浮かべながら散会となる。
『自分が悪い』
和平さんの盗作ニュースが飛び込んできたときのことは鮮明に覚えている。
このような事件は普通なら民間のテレビがいち早く飛びついているのだが今回はNHKだ。今でも似たような事あるごとにぶり返される。
和平さんは少しの間日本を離れ自分を見つめ直したと当時のことを振り返るが、すべて自分の非と認め誰が悪いも、本当の事実は墓の中に持って行ったので知るよしもないが、多くの人の応援もあり、新しい視点で書き直された物語こそ、作家立松への信頼だと今も思っている。
「本」になって、出版社の方々との打ち上げに塩原温泉に呼ばれた。
「政一、周りからずいぶんと人が離れていったが、今も離れない友がいて生きている。」
事件は作家としての道が閉ざされ「死」までも覚悟したような言葉だ。
翌日、わざわざ舘岩まで皆を連れて来て温泉につかり、名人と名付けたキミエばあの「そば」を食べながら「ここは何もないんだがなんか来たくなる、できの悪い弟もいるから気になるしなあ」と。立松さんへの風あたりが強い時期、県職員の宍戸グループが「講演を依頼してくれた」。
当時講演会に同席していたNHK福島局の伊藤局長は、渋谷に移動するなり自分の番組で和平さんを使うこととなる。「自分が悪い」実直な和平さんが、また陽のあたるテレビに帰ってきた。