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『ふだん着の温泉 』

湯ノ花温泉で居酒屋と民宿を営む清子あねえから電話がなる。「仙台のNHKから来てて、取材してだど、めんどうくせえがどうすっぺ」。間を入れないで、来た方に泊まってもらうようにお願いする。番組を担当する佐々木さんは、北ノ家のお客さんの作ったHPの検索で、「石湯」を取材地とした。古くからのお客さんに感謝感謝。当時番組はBS、見たことのない清子さんに、カラオケで歌う俺の歌、吉幾三の「旅の途中」が番組挿入歌と教える。たまたま番組を見て、気に入って歌っていたことが役に立つ。湯ノ花温泉の4つの湯場は
地元の方が優先して利用するので、管理者に承諾を得なくてはいけない。入浴シーンを取材するのだから、集落の方には十分理解して頂き協力をお願いする必要がある。佐々木君の人柄と、清子さんが友人とひと肌脱いだことも幸いしいい番組になり、引き続いて木賊温泉への取材、年末の特番の放送となる。一本の電話、一人の旅人など相手が見えない分丁寧な対応が人とのつながりを広げていく。佐々木くんは、仕事が一段落すると今も清子さんを訪ねている。



『奥会津書房 』

 地域を活性させる。当時、地域資源を生かしたふるさと運動で有名な三島町、民間活力を借りた第3セクターの舘岩村と二極化の村おこしの方向性が問われていた。地域の年よりが財産、「蓑・笠」が文化だと佐藤三島町長は持論を展開する。方や地域資源でのリゾート開発による若者定住と星舘岩村長。どちらも正論で同時なら理想郷ができるのだが現実は冷ややかだ。その三島町で、「奥会津歳時記」として新聞に連載されていたものを残したくて、その一途な思いで出版社を立ち上げ三年で5冊、今も年一冊ペースで発刊している方がいる。遠藤編集長は失われる一方の地域の習慣や民俗。大切な言い伝え。高齢者の知恵。それを担う子供たちにしっかりと受け継ぐことができたなら、お金に換えられない価値がそこにあるし、何かが新しく生まれる可能性があると。
 そして、「本当のものが見えにくくなった今、何を私たちは為すべきだろうか、調和の中にあった幼き魂は、どこへ行こうとしているのか、まだ、きっと間に合う、失った時の彼方に子供たちが歩く遠い未来に、変わらぬ確かなあかりがあると信じる。たくさんの願いと、たくさんの力づよい手で切り立つ崖を歩こうとする子どもたちのその足元を照らそう。」
「本」の売れ行きと、毎年開催される工人祭、つる細工祭の賑わいは反比例でも、スキー客の激減に苦慮する町との大きな間違いない方向性だと思う。
『鍼灸師竹村先生』
 
東京の某所に鍼灸師竹村先生の治療院がある。
目の前のホテルには、日中にも関わらず待っている間カップルが行き来していて、こちらが目をそらすありさまだ。先生の患者には文化人も多く、いつも玄関先が待合室となる。
仕事に厳しい先生が初めて指導している生徒さんを連れてきたのは冬。聞けば国家試験をまじかに控え旅行気分に浸るどころではないのだが、先生が行きましょうとなれば同行は拒否できない。試験より厳しくいじめとも思われる子弟関係がここにある。来た日は大雪、降る雪で前方がみにくく車で走るのも容易でない。宿に荷物を降ろし長靴に履き替え木賊温泉へ向かう。案の定、川辺にある岩風呂までの道は雪に覆われ、雪を踏みつけ踏みつけ道をつくりながら岩風呂にたどり着く。こんこんと下から湧く岩風呂は、熱ければ夏は川から水を汲むのだが、冬はタライ一杯に雪を運ぶ。初めての生徒さん達は一斉に悲鳴を上げ、他にお客さんもいないこともあり風呂場は雪合戦となる。沢山遊んだ一行が十分温まり宿に着くころは満点の星空になり、翌日はスノーモービルも走らせた。ちょっとした心使いのもてなしがゆとりとなったか全員合格され、それぞれが新しいスタートを切った。
こちらの温泉には温もりがあり、先生の心は温かさがある。新米鍼灸師がんばって。



『山村集落再生塾「山村たより」№020 』
―古いものと現在との融合から新しい価値の発見―

 総務省は住民基本台帳に基づく日本人の総人口が1億2,679万3,679人であったと発表した。昨年からすると26万人の人口減である。
 一方、世帯数と住宅総数を見ると、統計の取り方にばらつきがあるが、世帯数は約5,000万、住宅総数は約5,700万戸で、14パーセントが空き家ということになる。
 しかしこれは数字上の全国平均で、地方に逝けば街中でもシャッターや雨戸が閉まり、人けの無い家が目立ち、10軒の内、2~3軒が空き家という地区も珍しくない。高齢化率も地方へ行くほど高くなっている。全国平均24.9パーセントに対し水引のある舘岩地域は39パーセントで、舘岩27地区の内、10の地区は高齢化率が50パーセントを超えている。こんな時代現況のなかで、維持するために費用も手間もかかる茅葺き家屋が全国から消えていくのは自然な推移であろう。
 舘岩地域でも今年は次のページで報告する新屋敷と、湯の花でも一棟が解体された。舘岩地区には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された「前沢集落」の他にも何棟かの茅葺き家屋が残っているが、民宿として使用されているののの他は何れ近い内に消滅すると思われる。外部の者としては惜しむ気持ちを抱くが、地域の人たちにとって荒廃するままの家は気になる存在で、片付けられて安堵するのが本音かもしれない。
 しかしながら、水引は事情が異なる。橘モトノ家はモトノさんが昨年なくなって空き家となり、橘平六家は当塾で維持管理していくことになったが、7棟の内、5棟では今も静かな生活が営まれいる。これは全国でもきわめて稀なことで、水引を訪れる人は誰もが観光地では得られない懐かしい気持ちをもらって帰っていく。
 重伝建の選定を受けると茅屋根の補修だけではなく、増改築した外観を元に戻す事にも助成を受けられ、地区全体の整備もされていくが、水引にそれはない。外から訪ねる者はかえってそこに観光地にはない安堵感を覚えるのかととも思われる。このような水引をどのような方向でご支援していけば良いのかは常に渡しの関心ごとである。
 私はかねがね平六家の屋根を直すときには、鉄板葺きに変えられている旧厩の部分を茅屋根に復元したいと考えていた。しかしながら、今回平六さんから家の管理のご依頼を受け、南会津町から外観補修への助成を頂くことになって、この考えを改めた。ソーラーパネルをのせることで、古いものと現在を融合させた新しい価値を生み出すことを思いついたのである。山村と都市との交流の象徴にしたい。発電した電気を売電して維持費の一部にあてたい。幸いこの構想にたまたまご縁で出会った太陽光発電を専業とする㈱イーステージさんが共感して下さり、ご支援を頂く事になった。工事は茅屋根補修が終わった後に引き続いて実施し、10月の茅刈りツアーの時には完成した姿を皆さんに見て頂ける。
 ㈱イーステージさん、平六家の補修を始めることを知ってご支援ご声援を頂いた方々に心からお礼申し上げます。
  塾の藤木先生は、立松氏が取材地とした「クローズアップ現代」をたまたまご覧になり、支援活動を立ち上げて下さった。これも立松氏とのありがたい「縁」である。