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絶品手打ち蕎麦

 蕎麦打ちのエッセイが本誌に掲載されたところ、いろんな感想が寄せられた。
 「まるで昔のルーシー・ショーを見ているようで」というのがあり、素人の手さぐり蕎麦打ちは、専門家でなくとも、かなりの目に余ったようだった。
 書き手仲間の森田のりえさんからメールがきた。お知り合いの塩川さまという方がTVファンをご覧になり 「吉野さんに本格的な蕎麦打ちをご披露しましょうか?道具、材料全て揃っています」とお申しで下さっているけれどどうします、とお誘いを受けた?  美味しい手打ちの蕎麦が食べたい一心で、厚かましくご厚意をお受けすることにした。さてどなたにお声を掛けようか?羅府新報の磁針に辛口の論評を書かれている木村敏和氏は外せない。いつも「江戸っ子は蕎麦だ」がロぐせで、訪日の宿を東京でなく、蕎麦どころの信州、長野にわざわざ取られるほどの蕎麦好きだ。
 蕎麦は挽きたて、打ちたて、茹でたてが身上で、家庭で茄でるとなるとかなり大変である。昔の人は「美味いものは少人数に限る」と言ったとか。 一度に打てる量は少ないし、茄でるのも一人前づつが理想と聞いている。本当に美味しい蕎麦が食べたいので少人数にしましょう、と森田さんと相談し、予定の日を決め、場所は森田さんのお宅に決まる。
 蕎麦の種物には天変羅が良かろうと、私は材料の持参を申し出て、前日は蓮根、サツマイモ、茄子、さやえんどうに海老を二種類買い求め、野菜は水にさらし、海老は皮をむき、揚げたときに反らないように包丁を入れ、お酒を振ってタツパーに入れ準備し、大根に新生妻も用意する。
 日頃は、遠いところは何とか理由をつけてはパスするくせに、美味しいもののためにはドライブもいとわずいそいそと出掛ける。
 塩川ご夫妻はミッションビエホにお住まいで、日本企業の米国法人の元社長さんだ。引退されて、趣味で蕎麦打ちを始められ、週に1度以上は打たれるという。偶然にも私の蕎麦のエッセイをお読みになって、悪戦苦闘している様子が可衷そうになってお声を掛けて下さったとかで、良い出会いはどこにあるか分らないものだ。
 良質のそば粉を手に入れるために、福島県の会津。舘岩村に蕎麦畑を借り、ご自分の蕎麦を作っておられ、時々出掛けられているとか。趣味といえどもここまでやれば本格派だ。行けない時は村の方が種撒きなどを済ましてくださるのも有り難いとか。村長さんが村おこしの相談までなさるほど、土地に馴染んでおられるようだ。
 今年、私が初めて訪れた会津の山々があざやかに眼に浮かぶ。あの頃はまだ雪が残っていたが、暖かい人情の残る素朴な土地だった。 
 夏の初めに可憐な白いそばの花が、一面に咲いている写真をお持ちになって、まるで孫自慢のように説明される笑顔が素晴らしい。こういう引退生活も良いものだ。  夏が終る頃が収穫期で、三十坪の畑から蕎麦の実が十キロ採れるそうで、それを挽くと七キロの蕎麦粉になるそうだ。それでも足りなくて、同じ村に注文し、日本へ行く方に依頼して持ち帰ってもらっておられるとか。旨い蕎麦の一番の秘訣は、やはり旨い蕎麦粉を探し当てることだとおっしゃる。  早速、着替えをされて腰にサポーターを巻き、まっ白い前掛けに帽子まで被り本格的ないでたちだ。髪の毛が入らないようにと聞けば成る程だと納得する。
 本日は二八蕎麦にしますと蕎麦粉と強力粉を正確に計り、丁寧に混ぜ合わせ、さらに水を少しづつ入れてまんべんなく混ぜてゆかれる。私のような雑さは全くなく、実に蕎麦粉をいとおしむ感じで作業を進められる。
 こねも延ばしもまた大変な作業だ。  その頃には塩川氏は汗びっしょりである。  純恵夫人がさりげなくアシストされて、実にタイミングよく道具や材料を渡される。  包丁で細く切った時点で三十分、冷蔵庫に寝かせるのもまたコツの一つらしい。その間に天ぷらを急いで作る。  蕎麦が茹で上がりと同時に試食をする。まず何も付けずに蕎麦だけ戴く。強い腰がある。次につゆにちょっとだけつけてロへ運ぶ。  旨い。実に旨い蕎麦だ。
 塩川氏を中心にサウスベイでは、蕎麦打ちの会があるそうで、打つ弟子や外弟子(食べるだけのお弟子さんのことだそうだ)が時々集まって、持ち寄りパーティーをして蕎麦打ちの研鑽に励んでおられるそうだ。仲間にいれて頂けるかな?
 蕎麦に天婦羅が付いたのはずっと後世のことで、昔はかつおだしさえ高級品でありそれを使った蕎麦つゆに、ちょっとしか付けずに食するのは当然だったとか、蕎麦好きは生蕎麦だけの『もり蕎麦』を好み、海苔の切ったのが掛けてある『ざる蕎麦』は素人好みだとか?木村氏が蕎麦学を披露して下さる。食べ終わったら暖簾をひょいと持上げて、肩で風切って出て行くのが通だそうだ。祖母がよく『蕎麦がき』を作ってくれていて、大好きだったが近頃あまりお目にかかれない。
 昔の人は蕎麦の打ちあがるのを日本酒に味噌かなんか舐れながら待っていたというかち、何と風流な趣きだろう。
 奥様が最後に振舞って下さった蕎麦湯、これが絶品、上質の蕎麦粉を打ち粉にまで使っているので、それが溶け出ている蕎麦湯は美味しいはずだが、今までお店で飲んでいた蕎麦湯は何だったのだろう?と思える旨さだった。
吉野 怜 (よしの・れい)
東京生まれ九州育ち。
73年に渡米、一時帰国後、ニューヨークで4年生活、
78年ロサンゼルスに移住。ホテル業界に従事、
03年退職。日本の雑誌やTVファン誌に執筆中。