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栃の机
 
 私は自分の部屋でいつも森の香りに包まれている。
机が栃の木の厚さ十センチに近い一枚板でできているからだ。この机はたえず芳香を放ち、私の気分を安定させてくれる。いいものを書くのだよと、机が私を励ましてくれるのだ。
 この机にはいわれがある。十数年前に家具屋で買った大量生産の机が、上に本や書類を山積みしていることに耐えられなくなったのか、壊れてしまった。一気に壊れるのではなく、徐々に傾き、とうとう引出しも開かなくなったのである。そこで普段親しくしていを福島県南会津の舘岩(たていわ)村の友人小勝政一に、値段もデザインも注文はつけないから机をつくってくれるようにと頼んだ。彼の友人が村に木工所を建てたからである。
 それまで使っていた机がいよいよ傾いてきて、私は政一に早く新しい机をつくってくれと催促した。やがて彼が木工所の人と持ってきてくれたのが、栃の一枚板の机だったのだ。畳一畳分よりもっと大きく、とても一人では持てない重さであった。板の下には桐の引出しがくくりつけにしてあり、キャスターのついた三段の引出しも別についている。脚は芯が空洞になった木を二つに割り、両側で支える形になっている。
 このような設計でなければ、入口が狭いので部屋の中にいれることができないのだ。
 その机がはいったおかげで、部屋中がいいにおいになった。それまでの机は、オガ屑を糊で固めてつくったものだったのである。新しい机は大きいので部屋は狭くなったが、本物がやってきて書斎には厳しい空気が張り詰めたかのようであった。


一枚板の栃は、なんといっても風格がある。栃木というくらいで、私の故郷の栃木の代泰的な木である。舘岩村は栃木県と接していて、同じ山林域だ。栃は植林したのではなく、天然である。家具の材料としては伐採がすすみ、良材が少なくなってきたとも聞いた。
 舘岩村の名物は栃餅で、古い山村の文化を伝えている。栃の実を水でさらして灰汁を抜くさらしの技術も、縄文時代から伝わった文化であろう。もち米の餅に栃の実をつき込んだ栃餅は、香ばしくてうまい。栃餅つくりの名人から、ふと気づくと国有林の栃の伐採が家のすぐそばまで迫っていて、これでは栃餅がつくれなくなると伐採中止を陳情したという話を聞いたことがある。幸い伐採は中止になり、古い文化は守られることになったのだ。
 栃の机に触れながら、私はそんなことを思い出していた。この木を伐採しなければ、どれほど栃の実をならせたことだろうか。
 後日、机の請求書がきた。価格は問わないと注文したのだから、請求されただけ払わねばならないのだが、原価にも満たないと思われるほどの請求額であった。稀少になってきた栃を大切にしてくれとの友人からのメッセージだと、私は自分に都合よく思うことにした。

旧机寸法