『村を守る男たち、村を捨てる男たち
』
館岩(たていわ)村の話をしようか。
館岩というのは、栃木県との県境にある福島県の村だけど、いい村だよ。近くに湯の花温泉や木賊(とくさ)温泉がある。会津若松のほうに山を越して行くよりも、栃木県の今市あたりのほうに抜けるほうが早いっていう村。
山奥で、ムササビなんかもよく見かけるよ。賛沢な話だけど、自分の山のトチやブナの木を一本切ってナメコの菌を植えておくと、その木が全部ナメコに覆われるんだって。すごいらしいよ、朝から夕方までかかってもナメコが採りきれないんだから。まあ、最近は木のほうが高いから、あんまりやらなくなったらしいんだけど。
ぼくはそこの連中と親しいんだけど、よくトチモチを食べさせてもらう。トチモチって、すごく香ばしくて、美味いんだよ。館岩には、昔からトチモチが伝承されてるんだ。
でも、それをつくるのは、手順が複雑で大変なんだよね。原料のトチの実っていうのは豊作の年と不作の年があって、豊作の年には、木の下は、びっしりトチの実で埋まってるくらいだ。それを集めてきて、水に浸けて皮を剥(む)く。皮を剥いた実を、また水の流れの中にひたしておくわけだ。「さらす」というやつだよ。これは、山の中でしかできない。もし東京でさらそうと思ったら、膨大な水道代がかかるよ。質のよい水が豊富にあるからできる。都市にはない、山の文化だよね、これは。
トチモチは、実をさらしてアクを抜かないとつくれないんだけど、さらすのに十日くらいかかるんだ。大変な手間だよね。栃木県のあたりは、県名にもなってるくらいトチの木が多いところなんだ。だからこそ、こういう文化が残ってるんだろうね。
これほどまで手間がかかる食べ物だから、昔は飢饉(ききん)のときの保存食としてつくってたんだと思ったんだ。ところが、館岩のお母さんたちに訊(き)いたら、ふだんから食べてたんだって。各家庭でつくるトチモチが、その家々のお母さんの誇りなんだって。手間をかけてつくったトチモチを、日常的に食べてる。考えてみれば贅沢な文化だよ。
数年前、営林署の計画で、国有林のトチの木を切っていった。トチの木は家具の材料としては最高級のものだからね。
村人たちも、最初は雇われて伐採を手伝ってたらしい。
山の奥から切っていくうち、木を切ったところから、自分たちの村が見えたんだって。ふっとなにげなく見たら、館岩の村が見えた。そのときに、村人たちは気がついたんだよ。「これはとんでもないことだ。トチの木がなくなったら、トチモチがつくれなくなる」とね。
彼らはトチの木を守るために立ち上がったんだ。役所に陳情をくりかえして、とにかく伐採だけはストップしてもらった。
そういうことを、彼らは淡々と話してくれるんだけど、なんだか、胸がうたれるようないい話だよね。彼らが守ったのは、トチの木だけじゃないんだよ。そこから生まれる自分たちの文化を守ったわけだよ。
ほんと、いい話だよねえ。トチモチのモチつきを一緒にやったり、ときどき送ってもらったりしてるんだけど、ほんと、美味いんだよ。香りがよくてね。楽しみなんだ、送ってもらうのが。
その館岩の村も、過疎問題は深刻なんだ。文化を伝承していく世代が、どんどん少なくなってる。
館岩の知り合いに、こんな若者がいるんだよ。彼は村役場に勤めてるんだけどね、長男なんだ。家を継がなければならない立場だ。彼には、結婚しょうと思ってる相手がいるんだけど、その女の子も長女なんだ。昔で言えば、婿(むこ)取りをしなくちやならない。子供の数も少ないし、次男や三男はみんな都会に出ていってるから、彼の家も彼女の家も跡取りが必要なわけ。板挟みだよ、自分の家と彼女の家の。
それで、彼は、籍を入れずに結婚式を挙げたの。どっちの親も、「自分のとこの姓を継がせる」って言ってるから、しょうがなくなったんだよね。ぼくも、彼と話をするたびに「どうするんだ」って訊いてたんだけど、こないだ結論を出したらしい。自分が婿さんになるってさ。優しい男なんだよ。でも、つらい話だよね。