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「生の現場」を捉える立松文学
 
黒古一夫(文芸評論家・筑波大学大学院教授)

 第一巻が一二月に刊行され、二年半後の二〇一二年四月に全三〇巻の刊行が終了する予定の『立松和平全小説』(第一期九巻 第二期二巻 第三期一〇巻 A5判 九ポ二段組 各巻平均四五〇頁)、ここには文壇的処女作と言われる『途方にくれて』(七〇年)以前の、立松が早稲田大学在学中に所属していた「文章表現研究会」の仲間と出した同人誌「むむむ」に掲載した『溜息まじりの死者』(六八年執筆)などの「習作」から、最新作の『人生のいちばん美しい場所で』まで、立松和平が四〇年にわたって発表してきた長短合わせて二二一の作品が編年的かつテーマ別に収められている。
 小説の執筆以外にエッセイ、評論、ルポルタージュ、紀行文、講演など多岐にわたる活動で知られている立松には、これまでその著作をまとめたものとして四五編の短編から成る『立松和平自選短編集』(九一年 スコラ刊)と、国内各地に取材した紀行文を集めた『立松和平 日本を歩く』(全七巻 〇六年 勉誠出版刊)がある。今回のものは、表題通り全ての小説を集めた「小説全集」である。活字離れや出版不況が叫ばれ、「純文学」の凋落も激しいと言われる今日の文学状況下にあって、このような全三〇巻もの「個人小説全集」を刊行する版元には、全巻の編集を任され、かつ全巻に「解説」と「解題」を執筆する者としては敬意を表するしかない。しかし、それとは別にこのような企画が実現したそもそもは、何よりも四〇年にわたる立松の文学的営為が今日にあって集成するに値する内実を持つものであった、と考えたからであった。
 四〇年間、ひたすらという形容がピッタリあてはまる立松の創作活動は、その活動期間が長かったからという理由だけでなく、「人間(の生命)」の総体をその様々な「生の現場」で捉えることを基本としてきたが故に、その世界は多岐にわたっている。その始まりは、疾風怒濤としか言いようがない「青春」の在り様を、「彷徨=旅」体験(『途方にくれて』や『ブリキの北回帰線』等)や「学生運動」体験(『闘いの日々』や『その陽ざかっに』、『光匂い満ちてよ』等)、「恋愛」体験(『蜜月』や『火の車』等)などを基に描いた作品群であったが、何よりも立松和平という作家を現代文学の旗手の一人として世に知らしめたのは、第二回野間文藝新人賞を受賞した『遠雷』(八〇年)であった。この長編は、続編の『春雷』(八三年)、『性的黙示録』(八五年)、『地霊』(九九年)と共に「『遠雷』四部作」を構成し、後に「雷シリーズ」と呼ばれるようになる『雷獣』(八八年)、『百雷』(九一年)、『雷神烏』(九三年)、『黙示の華』(九五年)と続くものであるが、立松がこれらの作品で描いた世界はこれまでのどんな現代作家も取り上げなかったものであった。
 これら一連の作品は、都市化(開発)の波に直撃された都市近郊の「農村」を舞台に、そこは言い方を換えれば「都市=近代」と「農村=非近代」との「境界」ということになるが、立松はその「境界」で起きる人間の悲喜劇を描くと同時に、この国の近代史(戦後史)において結節点となった産業構造の大転換(農林・水産業といった第一次産業から工業・サービス業・IT産業といった第二次・第三次産業への)がもたらしたものが、いかに人間や共同体を破壊するものであったかを明らかにしたのである。『遠雷』を書いた当時、立松は五年半余り勤めた宇都宮市役所を辞め、執筆一本の生活に入っていたが、居を構えていた宇都宮市郊外で目撃した「開発」の実態や都市近郊農業や困難な状況を抱えて働く農業青年の現実を知ったことから、「境界」で起こった様々な出来事を「時代=歴史」的な視点を導入して描き出すことに成功したのである。その意味で『遠雷』は、「習作」時代から垣間見えていた、人間と状況(社会)や歴史との関係を掘り下げるという文学の本質を見事に具現する作品になった、と言っていいかも知れない。
 この『遠雷』によってより明確になった立松文学の特徴は、作家の在り様に照らして言い方を換えれば、立松が「時代(歴史)の目撃者」たることを自覚したところから生まれてくるものでもあった。つまり立松は、自らの作品が「芸術」や「文学」の内部に留まることを許さず、結果的には常に今生きているこの現実(時代や社会の在り方)と切り結ぶものになることを願った、ということである。立松が、『遠雷』のすぐ後に戦後史に取材した『歓喜の市』(八一年)や『天地の夢』(八七年)を書き、幕末に起こった戊辰戦争に材を取った短編集『ふたつの太陽』(八六年)や『贋 南部義民伝』(九二年)を、また都会生活に疲れた人々が「自然」との交歓によって自分を取り戻す物語『海のかなたの永遠』(八九年)や『黄昏にくる人』(九〇年)を書き、更には両親が生活再建と取り組んだ時代を描いた『卵洗い』(九二年)や『母の乳房』(九七年)を書いたのは、その意味で必然だったのである。母方の曾祖父が関わった足尾銅山再開発の物語『恩寵の谷』(九七年)と、その足尾銅山が下流域に流した鉱毒によって引き起こされた問題(谷中村事件)に敢然と立ち向かった田中正造の姿を描いた『毒-風聞・田中正造』(同)を書いたのも同じ理由に他ならなかった。縦横に広がりながら、「社会」や「時代」との関わりを失わない、それが立松の文学世界であった。
 途中、自身が「ぼくの精神形成の多くは、七〇年前後の学園闘争におうところが大きい」(「鬱屈と激情」七九年)、と公言していた七〇年前後の「政治の季節=学生運動・全共闘運動の時代」が生み出した連合赤軍事件に、自分なりの決着を付けようとして書き始めた『光の雨』が、雑誌の連載が始まってすぐに「回想記」を書いていた事件の当事者(死刑囚)から「盗作」を指摘されるような問題も起こし(九三年)、連載を中断するような事件もあったが--『光の雨』はその五年後まったく新しい物語として書き直され別な出版社から刊行され、映画化もされた-、その後も立松の創作欲は全く衰えることなく、ますます「生命」の在り方を問い、「人間の生き方」を求める傾向を強めていった。『日高』(〇二年)、『浅間』(〇三年)、『日光』(〇八年)はその頂点を示す成果であり、短編集『ラブミー・テンダー』(〇一年)、『下の公園で寝ています』(〇二年)、『不憫惚れ-法昌寺百話』(〇六年)、『晩年』 (〇七年)は「名も無き庶民」の生と死に注目したところに成った作品であった。
 「光の雨」事件(盗作疑惑事件)を起こしたことがきっかけになったのか、立松は『光の雨』を刊行した頃から「救済」や「求道」をテーマとした評伝的な作品も書くようになる。『木喰』(〇二年)、『奇蹟-風聞・天草四郎』(〇五年)、『芭蕉』(〇七年)であり、二〇〇〇枚を超える大作の『道元禅師』(上下 同)、『南極にいった男』(〇八年)などである。他に、太平洋戦争に従軍しながら「絶対に敵を殺さない」と決意し実行した男の物語『軍曹かく戦わず』(〇五年)や、企業戦士であった自分を反省しアルツハイマーを発症した妻と一緒に生きていくことにした男の物語『人生のいちばん美しい場所で』(〇九年)、等々、立松文学は多方面にわたり、かつ現在もなお「進化・深化」し続けている。
 そんな立松文学の全貌を、「中仕切り」的な意味も含めて知らしめるべく企画されたのが、この『立松和平全小説』である。ここには、立松和平の四〇年間にわたる創作の軌跡が明らかにされている。ぜひ手に取って読んでもらいたいと思う。なお、各巻末に付された立松自身による「振り返れば私がいる」は、初の「自叙伝(回顧録)」であり、また同時代に対する貴重な「証言」でもある。これもまたこの『全小説』の楽しみの一つである。
図書新聞 2009年11月7日(土)










 私は作品の数が多いので、全集の刊行などとても無理だと思っていた。自分でもよくわからないのだが、共著や文庫や絵本をあわせると三百冊前後はある。ある時、筑波大学の黒古一夫教授から、全小説集を刊行してみないかと誘われた。小説だけに限ってみるなら、全部で七三冊、長短で二二五編、枚数にして四万三千枚余りだという。
 その数字を聞いて、自分でも驚いた。毎日毎日書きつづけてきて、今も書いている。改めて目録を眺め、当然のことながらいつどんな状態で書いたのか、すべて覚えている。単行本単位ではなく、一行一行のことを全部記憶にとどめているのである。それらの作品群が、私を前へ前へと押し出す力となってくれたのであろう。
 商業出版の上からは、私の処女作は『早稲田文学』一九七〇年二月号に発表した「途方にくれて」である。だがその前に、原稿用紙の終わりに(一九六八年二月二十八日脱稿)とメモされた「溜息まじりの死者」がある。あれからほぼ四十年の歳月がたったのである。
 心地よい日溜まりの中にあるような宇都宮高校から、学生運動の激しい早稲田大にいき、翻弄される自分を見詰めてその思いをまず書かなくてはいられなかった。書き上がると、文芸誌『文芸』の「学生小説コンクール」に応募した。最終選考に残ったものの、出版社側に会社経営上の問題が生じ、コンクールそのものが中止になった。私は河出書房にいき、原稿を引き取ってきた。この「溜息まじりの死者」が、私の正真正銘の処女作ということになる。
 その後、就職内定の決まっていた大手出版にはいかず、職業作家をめざしたが、そう簡単にはうまくいかない。故郷の宇都宮に帰って市役所に就職をした。ずっと書きつづけていたため、市役所にはいる以前の作品も、勤務時代の作品もある。
 宇都宮に居を定めて書いていこうと肚を決めた当時、栃木は文化不毛の地であり、ここでは文学は成立しないという論がまかり通っていた。そのことには強い反感を覚えた。人が暮らしている土地なら何処でも文学は成立し、当然栃木弁を話す人物たちが登場する小説があってもよいはずたと信じた。だが実際にはなかなかうまくいかず、試行錯誤を繰り返していた。その結果として生まれたのが「遠雷」であった。
 勉誠出版で「立松和平全小説」の刊行が決まり、全作品に目を通している黒古教授によって編集作業がはじまった。最初の単行本「途方にくれて」から最近の「道元禅師」「人生のいちばん美しい場所で」まで、テーマごとに二冊 から三冊の単行本をおさめるとして、全三十巻になる。これを三期に分けて出す。各巻に黒古教授か詳細な解説と解題を付し、私が各巻にちなんだ回想録「振り返れば私がいる」を書く。刊行開始は二〇〇九年十二月中旬とする。
 私は全小説集の刷り上がってきたばかりのチラシを眺めながら、本稿を書いている。喜びも苦しみも哀しみももちろん人生を賭けたこれら作品の中にあったのだが、とにかくここまで走りつづけ、なお先にいこうとしているのだと思った。
下野新聞 2009年11月24日(火)
戦いの果て


全小説 第1巻
青春の輝き
■途方にくれて
■ブリキの北回帰線
■つつしみ深く未来へ
初版発行:2010年1月12日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第2巻
惑いと彷徨
■人魚の骨
■火の車
■火遊び
初版発行:2010年2月15日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第3巻
異議ありの声
■たまには休憩も必要だ
■光匂い満ちてよ
■冬の真昼の静か
初版発行:2010年3月19日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第4巻
闘いの果て
■今も時だ
■光の雨

初版発行:2010年4月30日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第5巻
旅に棲んで
■雨月
■蜜月
■太陽の王

初版発行:2010年6月10日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第6巻
「戦後」のはじまり
■野のはずれの神様
■天地の夢

初版発行:2010年7月10日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第7巻
昭和という時代
■閉じる家
■歓喜の市

初版発行:2010年8月10日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第8巻
歴史へのまなざし

 

■天狗が来る
■ふたつの太陽
■贋 南部義民伝

初版発行:2010年9月10日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第9巻
冒険に駆り立てられて

 

■砂の戦記
■雨の東京に死す
■ダカールへ

初版発行:2010年10月10日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第10巻
境界を生きる1
解体する共同体・家族
■遠雷
■春雷


初版発行:2010年11月30日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第11巻
境界を生きる2
滅亡から救い
■性的黙示録
■地霊


初版発行:2011年2月10日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第12巻
境界を生きる3
破壊される農
■雷獣
■聖豚公伝
■百雷


初版発行:2011年3月31日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

全小説 第13巻
境界を生きる4
農への思い
■雷神鳥
■黙示の華



初版発行:2011年6月30日
発売所:勉誠出版株式会社
価 格:4,500円+税

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