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あとがき
 道元の言葉の海を漂うようになって、どうしても言葉でなければ伝えられないことが無限にあると、私はむしろ自覚的に考えるようになった。道元愛好家というとへんだが、日頃道元の著作に親しみ、道元の教えに自分の人生の指針を重ねあわせている人と話すと、『正法眼蔵』 の中の道元のどの言葉が好きかということによくなる。
 本書の中で何度か展開したことであるが、私がまず心を奪われたのは、この言葉であった。
「光は万象を呑む」
 月の光は、万象、すなわちこの世に現われたすべての現象を呑み込んで、なお余りある。月は大きな光なのだが、大海をも呑み込んだかと思えば、草の上にある一滴の露の中にもはいってしまうのである。それでもなお、月の光はもて余すでもなく、窮屈でもない。なんと融通無碍(ゆうずうむげ)であろうか。
 道元の言葉は意味が幾層にもなり、また現代語でもないので、読んでいて難解である。わからなければわかるまで何度でも読めばいいし、先哲の解説書もある。それなりに格闘していけば、手も足も出ないということはない。間違った解釈をしていようと、いっこうにかまわないと、私は思う。その時はそう思っても、私自身の因縁も変化していくため、解釈は変わるのである。そこで新しい理解をすれば、以前の間違った解釈は生きて使命は終ったということになる。私にとって道元は永遠のエネルギーによって高速回転をしつづける存在なのだ。こちらの解釈をどのように変えても、それこそ融通無碍であると許してくれるだろう。道元が最も嫌うことは、一つの解釈にこだわり、立ち止まり、強張って、そこから身動きつかなくなってしまうことであろう。
 道元は巨大であるからこそ、こちらの誤りや変化など許してくれる。そう思って、こちらも自分の身をできるだけ自由にすることである。
 最近は次の言葉が好きだ。
「しるべし、自己に無量の法ある中に、生あり、死あるなり」
 このように重大なことを一言でいい切ってしまう道元の言葉の術に、私は頭を下げてその言葉を味わうしかない。本当にそうだよなあと思う。自分こそ真理そのもので、その真理の中に生があり死がある。生だけを取り出して大事にすることはできない。そこに死がついてこそ、真理なのだ。
 私も今後もいつでも道元の書物を鞄にいれて持ち歩き、道元の言葉を噛みしめて生きていくだろう。もちろん書物を読むだけというのは道元の忌み嫌うところなので、永平寺などの参禅会にはできるだけいき、自らの行住坐臥に気を配って生きていくつもりである。
 そして、いつか道元の言葉のうちどれが好きかなどと語り合わず、どこからきてもどんな風にでも道元のことを語ることのできる、融通無碍の境地に遊ぶようになりたいものだと願っている。

   二〇〇三年秋、けやき並木路に黄金の葉が降る東京にて

初版発行:2003年11月30日

発行所:株式会社春秋社

価 格:1,800円+税

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「昔はみんな子供だった」
自分自身の黄金時代
誰でも子供の時というのは黄金時代なのである。その時には何も感じないような平凡な出来事でも、時をへてみると、いつしか黄金に変わっている。ふだん気がついていなくても、あの時へと思いを馳(は)せれば、そこいら中、黄金でないものはない。

初版発行:2003年10月30日

発行所:祥伝社(しょうでんしゃ)

価 格:1,500円+税


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初版発行:2003年10月26日

発行所:白竜社

価 格:1000円+税

下野新聞より
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法隆寺の智慧 永平寺の心
釈迦の教えは今も人びとを導いている。私は仏教を積極的に学びたい。学びたくて学びたくて、じつとしていられない。般若心経はなぜ心の良薬なのか。法華経は何を説いているのか。「さとり」とはどういうことか。
・・・聖徳太子の精神が至るところに輝いている法隆寺。
道元の思想があまねく染み渡っている永平寺。両寺における修行を通して、身と心で仏教の精髄に迫る。

初版発行:2003年10月20日

発行所:株式会社新潮社

価 格:689円+税

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浅 間
街道沿いの宿場町での女郎勤めを終えた、若い娘ゆい。「お蚕(こ)さまを育てたい。醜い虫から清らかな姿になるのは、お蚕さまだけだから……」故郷の村で、働き者の夫や気のいい女友達、慈悲深い和尚に見守られた、安寧の日々が始まる。桑の菓を食んで純白に生まれ変わっていく蚕、山が鳴り飴めても、一心に世話を続けるゆい、そして豊かな恵みがもたらされるが……。

息を呑む大惨事、
降りしきる熱い灰、
すべてを埋め尽くす土石流。


命のはかなさと新しき家族の再生が胸にせまる傑作。


初版発行:2003年9月25日

発行所:株式会社新潮社

価 格:1500円+税

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映画主義者 深作欣二
深作健太が監督としていきなりの大作にかかるのは、運命なのである。まわりからは幸運と見られるかもしれないが、実は、深作欣二が長く周到な準備をしてきたその結果として、深作健太監督がここに存在しているのだ。深作欣二監督の血はすべて、深作健太監督の身と心に流れているということである。
エピローグより

初版印刷:2003年7月3日
初版発行:2003年7月3日

発行所:株式会社文春ネスコ
発売元:株式会社文芸春秋

価 格:1800円+税

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立松和平のふるさと紀行「花」
あとがき
散りかかった桜には美しい死生観がある−あとがきにかえて
 桜の下に立つと、人は誰でも詩人になる。ひとつの花を対象に詠んだ詩歌では、桜が一番多いのではないだろうか。花びらの数ほどもある桜の詩歌のうちからひとつを選べといわれたら、私には迷いはない。
  
   願はくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ

 誰でも知っている西行の和歌だ。花はもちろん桜、きさらぎは旧暦二月、望月は満月である。婉然(えんぜん)として澄み切った情景がありありと浮かぶ。桜は満開を過ぎて少し散りかかり、空には心の底まで澄み渡るような月がある。これが古来、私たちの祖先が理想としてきた完全なる風景なのである。
 ここには美しい死生観がある。花の盛りの絶頂の時こそ、死が感じられる。無常迅速で、咲き誇った花もいつまでもこうして咲いているのではない。たちまち散っていくのだ。桜のようににおうがごとくに咲くことは、人にとっては難しい。しかし、散り方によって、全力を尽くして燃焼した生き方が記憶の中でにおうがごとくとなるのは、不可能ではないのである。
 桜のように咲き、桜のように思い切りよく散っていく。それが生き方のひとつの典型的な理想なのだが、管理の時代で人は力一杯咲くことが困難で、長寿の時代ではいさぎよく散ることもほとんど不可能だ。
 咲きもせず、ゆっくりと朽ちていくのが私たちの現実ではあっても、満開の桜の下で遊ぼう。桜は桜で無心に咲き無心に散っているのではあつても、私たちの心を鏡のように映す。桜の姿を見ることによって私たちは自分の生き方を少しでも正す。
不思議な花である。

初版印刷:2003年4月20日
初版発行:2003年4月30日

発行所:株式会社河出書房新社

価 格:2500円+税

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立松和平のふるさと紀行「半島」知床
あとがき
「流氷がきたよ−つ。いい流氷だべさ。いつ見にくるかい」
 知床の友から電話がかかってくる。さっそく私は手帳を開き、いくことのできる日を決め、航空の便を予約する。春夏秋冬こんな具合で、少し間があくとたちまち電話がはいるのだ。流氷がなくなった。山が緑になった。カラフトマスがとれだした。夏の風が吹きはじめた。ジャガイモの花が咲いた。クマがでた。川にアキアジが遡上している。山の木の葉が色付いたから、観楓会を開こう。とうとう雪が降った。口実はいくらでもある。季節の流れは一刻も止まることはない。かくして私は四季折折の知床を知るところとなる。
 飛行機が女満別空港に降りようとして旋回すると、広大なる農地のその果てにオホーツク海の群青色が眺められる。その群青色は時に凍りついて真白になる。そしてその向こうに、季節の色彩を映した知床連山が目にはいってくる。その時いつも私は、ほんの少し前にきたばかりなのに、たまらないような懐かしい気分になるのだ。
 空港に着くと、にこにこ笑った変わらない顔がある。この十数年、私はこの顔と喜怒哀楽をともにしてきたのである。友の運転する車の助手席に来り、窓の外に流れはじめた風景を見ていると、心の底からの慰籍の気持ちが湧き上がってくる。熟すぎず、醒めすぎているわけでもなく、ちょうどよいかげんの湯につかっているような気分である。私は身も心も自由になっていることに気づく。これが私にとっての知床の空気だ。
 知床の人たちと付き合いだし、山小屋を持つようになってから、私の人生はずいぶんと豊かになった。知床のあの大自然が、いつも私の心の中にある。心の中の自然は、たえず移ろっていって色彩を変える。私の中にも豊饒な海がたゆたい、時には荒れ騒いだりもするのだが、流氷の季節になればそれは美しい輝きを放つのである。澄んだ音色で響きつづける知床の川が、私の中に流れつづけている。
 知床は鳥獣虫魚の気配の濃いところである。山にはいれば必ずシカやキツネやクマの視線と出合い、海にいけば魚はとにかく無尽蔵かと思えるほどにとれる。これらの命と向かい合っていることも、私にとっては知床での大いなる楽しみだ。無限の命を養う森や海が、いつまでもこの輝きを失わないようにと、私は祈る気持ちで本書を編んだのである。
二〇〇三年一月 雪のような霜の降った厳冬の東京にて

初版印刷:2003年2月18日
初版発行:2003年2月28日

発行所:株式会社河出書房新社

価 格:2500円+税

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あとがき
 その昔、私が二十代前半のことである。私は身寵(ごも)った妻を東京に残し、一人でインドに旅立ったことがある。そのことを書いたり語ったりしているものだから、何故そんなことをしたのかと、今でも私はよく人に問われる。言下には、ひどい男じゃないかという意味が込められている。私もそう思う。いかにも弁明のしようもないことである。
 その旅で、私は中村元先生の翻訳された『ブッダのことば__スッタニパータ』 の文庫本一冊を持っていった。いつも荷物を担いでいなければならないバッグパッカーだから、何度も読める本がよい。書店の書架から深い考えもなしに取りだしたのが、この原始仏典だった。これからインドにいくのだし、雰囲気に合っているなというくらいの軽い気持ちであった。
 朝日覚めた安宿のベッドで、南京虫に喰われた痺い腕を掻きながら、私は文庫本のページを繰る。街の食堂でカレーを注文し、運ばれてくるのを待ちながら、カレーの染みのついたテーブルに 『ブッタのことば』をひろげる。
 その時に印をつけた言葉はこのようなところである。
あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀(さい)の角のようにただ独り歩め。
〈三五)
交わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。
(三六)
 あらゆる生きものに害を加えずに生きることは、日々をそのように願って時を過ごせば、あるいはできるかもしれない。しかし、私にはもう一つの現実があった。愛情の結果、子ができようとしていたのだ。その子を受けいれられるような生活をしていない以上、それは苦しみである。だが禍いなのであろうか。ブッダはあらゆる執着を捨ててしまえば、生きる苦しみはなくなるといっている。確かにブッダは、親も妻も子も家も捨てた。私はブッダがしたようにはとてもすることができない。
 何気なく持っていったたった一冊が私の苦しみをずばりとついていた。しかし、簡単に答えがだせるようなことであるはずがない。私は一冊の文庫本と対話をするような旅をつづけることになった。迷いは深くなるばかりではあったが、私は妻のもとに帰っていった。その時に生まれた子は私と妻とに幸福な気持ちをもたらしながら育っていき、成人し、そして自分の道へと去っていった。気がつくと三十年の歳月が流れたのである。
 諸行無常でいろいろなものは当然変わったのだが、一つ変わらないことは、いまだに私はあの文庫本を読みつづけているということだ。南京虫(なんきんむし)の巣窟である安宿のベッドも、カレーしかない雑踏の食堂も、私のまわりからは遠い。しかし、あの時には遠かったブッダの言葉は、今は私自身の心の中から響いてくる。
 あの時、私の深いところに蒔かれた種が芽をだし、少しずつ少しずつ樹になってきた。それが大樹になるかどうかは私の精進にかかっているのだが、確かに種は蒔かれたのだということを感じる。種は一種類ではなく、苔も羊歯も草も、また幾種類もの樹木もあるようだ。生きているうちにその種類は増えていく。
 これが森にまで育っていけばいいなあと、私は念じている。

初版第1刷発行:平成15年1月30日

発行所:株式会社佼成出版社
http://www.kosei-shuppan.co.jp/

価 格:1700円+税

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