普段の私のテレビ生活は、深夜の1時間ほどである。午後11時近くまで書斎で書きものをしたり本を読んだりして過ごし、それから風呂に入り、妻と軽く晩酌をしながらテレビのニュースを観る。どの局を観るかは決めていず、その日の気分でチャンネルを変える。
チャンネルを回していると、ニュースでも繰り返し同じようなシーンを観ることになる。スポーツニュースも、プロ野球の結果を何度か重ねて確認することになる。
その頃にNHKスペシャルの再放送をやることが多いので、そちらに流れていくこともある。他に私がテレビを観るのは、サッカーや他のスポーツの国際試合がある時だ。定時の番組はほとんど観ない。時間流しをするほど時間に余裕がなく、読書をしていた方が精神が充足するからである。
私が書斎にいる間、妻はテレビと向き合っているが、観ているのはほとんど映画である。ケーブルテレビに加入していて、CS放送で結構いい映画を放送している。最近評判になった映画も、意外なほと早く放送される。古い映画に登場する女優たちが美しい日本語を話すことに、改めて驚いたりしている。
日々流される番組は、失礼な言い方をさせてもらえば、若者の散らかった部屋を見せられているような気分にさせられる。NHKの番組はていねいに作られ、昔から比べて水準が落ちたとは思わないが、民放の番組はおしなべてひどい。工夫というのは、散らかった部屋をどの角度からどの部分を写すかということのようで、そこに住んでいる芸能人たちのおしゃべりは、チャンネルをどこに回そうと同じなのではないか。大人が観るに堪える番組があまりにも少ない。
美しい風景を映し出した番組を観ても、感動がなくなってしまったのは、たいていすでに見たような気分になる景色だからだ。厳密にいえば見ていない場所の風景ではあっても、近似の景色は見ているのである。実物を見ていなくても、疑似体験として見ているのだから、感覚としては見ていることになる。
テレビ体験とは、すべてが疑似であるから、視聴者は風景を疑似的に激しい勢いで消費してきたのである。だから目が肥え、すべてを見たような気分になっていて、どんな映像を送り出そうと感動することはない。テレビの紀行番組で、どれほど秘境に行って苦労して番組を作っても、それだけでは素朴な気持ちで感動はしなくなってしまった。
旅行番組や料理番組でどんなに珍しい料理が登場したところで、実際にそれを味わった体験がなくても、他の番組ですでに食べたような気分になっているのだ。疑似に何度も体験しているからである。
これ以上テレビで何をやることがあるのかと、番組制作にも多少は関わってきた私は思う。手を変え品を変えてみたところで、結局素材は同じなのである。こうなったら、日々移ろっていく風俗の中に、時代の最先端という衣装をまとって入っていくしかないのではないかとさえ思うのだ。それももちろんテレビの仕事の一部だ。だがそれも一度しかできない。
ことに民放のテレビは、視聴率がすべてである。スポンサーからの広告収入で運営されている以上、どれだけの数の人が観たかに影響される広告という媒体の持つ宿命である。
たくさんの人に視聴してもらうためには、大衆の好みに合わせ、大衆に取り入らなければならない。若者が望む仕事につけず、ワーキングプアなどが出現する閉塞感に満ちた時代では、大衆は心の底に悪意をため込んでいる。芸能人を何か特別の人間ででもあるかのようにあがめつつ、一方その裏側ではわずかな傷でも見落とさず、不倫などもスキャンダルに仕立て上げる。そして、華やかな場所から引きずり下ろす。その瞬間を、悪意をためた大衆は待っているともいえる。一種の神前への生け贄である。スキャンダル ジャーナリズムは、これからもいっそう大衆に支持されていくだろうと私は感じるのである。
そのような悪意の大衆に媚びなければならない視聴率戦争の落ちゆく先は、明白である。一つの番組が視聴率を取ると、制作者は誰も自信がないので類似の番組ができ、出演する顔ぶれも同じようなものになる。大衆はますます我が儘で飽きやすくなり、別の番組を求める。制作する側ではなんとか大衆の好みに応えようと努力するのだが、いつもいつもうまくいくわけではない。一方、テレビ局では三百六十五日二十四時間番組を出し続けなければならず、これは大変な負担となる。類似の番組を出す方が楽だから、どうしても楽な方へと傾いていき、どれもが同じような番組になる。それが現状ではないだろうか。
経済か拡大して、大衆の消費が伸び景気がよい時は、それはそれでテレビは活況を呈すだろう。だがこれからの時代、経済は縮むばかりで、人の悪意は拡大する。また世代によって好みも変わり、個人の水準でも多様化する。大衆全体が好むものはいよいよ統一性がなくなり、視聴率は意味をなさなくなる。
この視聴率戦争によって、中高年世代、とりわけ団塊の世代の私などには、観たいテレビ番組が少なくなってしまったと私は不満に思っている。
調査報告 2008年9月10日
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