人生の現在位置 |
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とぼとぼと歩きつづけりてきて、今どのあたりを歩いているのかよくわからない。いつも迷っているのである。ある時、私はロンドン郊外の大きな公園を歩いていて、迷ったことがあった。それでも歩いていくしかないので先に進んでいくと、道傍に地図があった。地図上に赤い点が打ってあり、こう書いてあちた。
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援助ということ |
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10代の若者たちと話し合う機会を持った。NHKのテレビ番組「真剣10代しゃべり場」で、50歳代の私はゲストという立場であった。30歳以上も年の違う若者たちと言葉が通じ合うのかという不安を持ちつつ、収録のスタジオにはいった。
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野球の原点回帰 |
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大阪駅の瑞にある通路を歩いていると、ラジオの野球中継の声が響いてきた。その通路は半分に段ボールがならび、ホームレスの家になっている。毀ポールの家のところどころに足が見え、人が寝転がってラジオを聞いているのだった。
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小さな利益のために失うものがある |
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子供をめぐる犯罪がたびたび起こる現代である。多くの場合は子供が被害者となるいたましい事件なのであるが、ひとつ深層にはいればそれほど単純ではなくなる。要するに、よくわからないことが多いのである。
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今、植村直己さんがいたら |
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冬のアラスカでマッキンリーを眺めながら、植村直己さんのことを考えたことがある。麓でさえ零下二十度とか三十度になるのに、あの氷の山に単独行で登ろうというのは、私などには憧れにすぎない。冬のマッキンリーは、これから先も永遠に植村直己さんの墓標でありつづけるであろう。そう思った。
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凶作の夏 |
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宮沢賢治に寒い夏の不安にただ黙々と身体を動かすという意味の詩があるが、今年の夏もそんな異合である。どうしても私は、10年前、1993年の凶作の夏を思い出さないわけにはいかない。
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50代の生き難(がた)さ |
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タクシーを止め、東京駅丸の内口にいってくださいと頼んだ。すると運転手は身を乗り出して私のほうに向き直り、すまなさそうにしてこういう。
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100万人のキャンドルナイト |
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2003年6月22日は夏至の日であり、昼間の時間が一年間で一番長い。夏の一夜、夜20持から22時まで電気を消して過ごそうという呼びかけが、市民流通団体の「大地を守る会」によってなされた。題して「100万人のキャンドルナイト」という。
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花屋に仏壇の花がない |
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ある日、買い物から帰ってきた妻が、少し怒ったようにしていった。
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寛容の精神/世界の多様性を認めよう |
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現代社会で最も欠如しているのは、寛容ということである。寛容とは他者を他者として認めるという姿勢である。そのためには、自分の持っている世界観は大切であるにせよ、それが百パーセント絶対ではなく、他者の世界観を尊重し認めなければならない。
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足尾の森と『古事の森』 |
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第八回を迎えた今年の足尾の植樹デーは四月二十七日であった。例年なら私は前日に足尾入りし、夜の交流会に参加するのだが、仕事の都合で前日に福岡に行かなければならなかった。
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田中正造の主張を今に/足尾に木を植える |
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栃木県の足尾は銅山のあったところで、鉱山開発の跡が今でもはっきりと焼きついている。足尾の歴史を知らないでその場所に立ったら、根底から荒れさびた光景に、ここは日本ではないと感じるかもしれない。
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地球/一滴の水の思い | top | ||
鎌倉時代の禅僧道元は、一滴の水についてこのように語っている。
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この国の未来に少々の不安 |
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環境問題を語る
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21世紀の環境への提言/森をどう読み解くか |
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北海道の山に木を植えている人が、ある日興奮したおももちで私にいった。
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わたしの先生/夢追う姿に勇気づけられ |
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わずか一年間の担任でも、生涯忘れえぬ恩師となることがある。立松さんにとって、それは宇都宮市立一条中学校で英語を習った簿井健郎さんだった。
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旅立ちの詩/正法眼蔵の「同事」のように人と同じく生き、死にたい | ||||
「僕はねえ、ことさら自分の生や死を他の人と違うようにも思いたくないし、当たり前に生きて、当たり前に死ねればいいと思う」という立松さん。自らの人生のくくり方を語ってもらった。
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安全かつ確実な食糧の生産と供給のシステムを |
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低下する自給率
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北見のタマネギ畑から/都市住民に力を発揮してもらおう |
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知床あたりでは、畑の基盤整備によってその痕跡はずいぶん消えてしまったが、よくよく見ると水田をつくろうとしたことがわかる。
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子供の記憶/ゴミの家庭内処理 |
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私が子供の頃、よくよく考えてみるのだが、我が家にゴミ箱があったという記憶がどうしてもないのである。ゴミ箱はコンクリートでできていて、天井についている蓋を開けてゴミをいれる。ゴミをだすのは、前面についている木の蓋を上げ、チリ取りですくつた。もちろん箒(ほうき)も使った。
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