消える都市景観の魅力 | top | |||
相変わらずあちらこちらと旅をして暮らしている私であるが、最近は旅の楽しみがずいぶんと失われてきたように思う。車で走っていて、今どこにいるのだったか分からなくなることが、しばしばある。つまり、全国どこに行っても景色がたいして変わらないのである。
|
||||
島酒、島魚、島唄 | top | ||
黒糖焼酎こそが奄美そのものである
|
|||
北見のタマネギ畑 | top | ||
北海道網走管内の北見は、大農業地帯である。かつて北海道にはいった開拓者たちは、とにかく米をつくりたいと願った。オホ−ツク海に面した紋別のあたりまで、かつては水田がひろがっていた。しかし、熱帯作物である米は低温に弱く、日照時間が少ないことも栽培の条件としては悪かった。
|
|||
津軽の流儀 | top | ||
津軽といえば太宰治の紀行作品『津軽』を思い浮かべる。三十六歳の太宰治は昭和十九年五月敗戦色の濃い津軽を旅し、自分が生まれてきた風土を探る。
|
|||
日常生活の大切さ/自分と他人は別ではない | top | |||
この世を私たちがどのように生きればよいかという具体的な態度として、「正法眠蔵」七十五拳本外の拾遺に「菩提薩捶四摂法」が説かれている。四摂事とは、菩薩が人々をさとりにみちびくための四つの方法のことである。摂とは衆生の心をとらえる方法ということであり、布施・愛語・利行・同時が説かれている。
|
||||
一人と宇宙は同等/自然に調和して生きよう | top | ||
「現成公案」(げんじょうこうあん)と道元がいう時、私たちが生きているこの一瞬には現在も過去も未来もあり、絶対の真実がいま目の前に実現しているという意味になる。
|
|||
無常迅速、生死事大/時を失わず学道に励め | top | ||
学ぶとは、なんと素晴らしいことであるか。学びへの情熱の深さは、現代に生きる私たちが道元から学ばねばならないことである。
|
|||
真理は隠されていない/目前のすべてが修業対象 | top | ||
道元は明州慶元府(寧波)の港に着いたが、手続きの関係で三カ月船中に留まっていなければならなかった。その時、阿育王寺から老僧が日本の椎茸を買いにきた。老僧は食事を司る役職の典座であり、山内の雲水に麺汁を供養するのだという。
|
|||
真理は隠されていない/修業せずに命ながらえても・・・ | top | ||
道元の青年期について私が抱くイメージは、学びたくて学びたくて常に充たされずに身を焦がしている、若々しい煩悶(はんもん)の婆である。
|
|||
ホテル斜里館 | top | ||
ホテルというとなぜか私は、ホテル斜里館を思い出す。今は知床斜里という名になった駅の前の、なんとなくいつもがらんとした広場に画して、旧式のそのホテルは建っている。
|
|||
一万五千の死 | top | ||
知床半島のルシヤ川のほとりにある番屋にいき、御馳走になった。ざっと書くと、パフンウニ、キンキの煮つけ、トキシラズのバター焼きとルイベ、ツプ貝の刺身、ホッケ、まだほかにあったような気もするが、思いつかない。どれもが前の海からたった今とったばかりの、新鮮なものである。
|
|||
我が青春の聖地波の上 | top | ||
<上>ニライカナイを幻視寛容の心が時代を救う 那覇にいき、一時間でも自由時間ができると、私には必ず足を運ぶところがある。
|
|||
<中>強い土着に魅かれ辻町で見つけた仕事 波上宮が私の青春の聖地という理由は、それなりの体験があるからだ。
|
|||
|
|||
自然を守る底力 | top | ||
日本のどの場所でもよいのだが、たとえば私の場合には知床である。
|
|||
芝川海苔のこと | top | ||
富土山の湧水としては、忍野八海(おしのはっかい)や柿田川ほど有名ではないのだが、富士山の西麓に猪之頭(いのかしら)湧水群がある。かつては井之頭といい、その名のとおり水に恵まれた土地である。明治の頃、井之頭というといかにも恵まれたという感じがすることから、税金がたくさんかかるのを恐れ、猪之頭という名に変えたのだそうである。水の湧く美しい名前が、なんとなく貧しそうな名になってしまった。そうではあっても、水が豊かなことに変わりはないのである。
|
|||
カレーとシチュー | top | ||
母は小さな食料品店をやっていた。近くに同じような店がないことはなかったが、母の店ははやっていた。近所の主婦たちのおしゃべりの場ともなっていたのである。
|
|||
援助やボランティア | top | ||
援助やボランティアという言葉を前にして、必ず考えなけれはならないことがある。それは誰のためにするかということである。それは利益を受ける人のためだということは簡単なのたが、それではそれをして誰が利益を受けるかと考えていくと、ことは案外に複雑なのである。
|
|||
沖縄復帰三十年で変化したもの | top | ||
沖縄が日本国に復帰して三十年である。那覇では首相や知事が列席し、盛大な式典が行なわれたようである。
|
|||
植林で未来に布施をしたい | top | ||
五十代半ばになると、まるで櫛の歯が欠けるように、一人二人と友人たちがこの世から去っていく。ああ彼がいなかったのだなあと思い出し、今そのことを知ったわけでもないのに、突然感傷的になったりする。
|
|||
まよひの雲の晴れたる所(宮本武蔵の幸福) | top | ||
熊本市郊外にある雲厳禅寺の奥の院は、馬頭観音をまつった霊厳洞である。宮本武蔵は六十二歳で亡くなるのだが、死に先立つ二年前、この洞窟に籠もって坐禅をし、正保二(一六四五)年五月十二日、死の七日前、門人の寺尾孫丞勝信に「五輪書」を授ける。「五輪書」は兵法者武蔵の集大成であり、奥義である。一人の人生が完成したことを、後世の人はこんな言葉に見る。「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。能々吟味有るべきもの也」
|
|||
悲しさ感じるBSE騒ぎ | top | ||
五月十一日、北海道・音別町の牧場で飼育されていた六歳の雌の乳牛にBSE(牛海綿状脳症、いわゆる狂牛病)が確認された。感染牛の確認は国内で四頭目である。
|
|||
減反強制された田植えの季節 | top | ||
五月の連休に私と妻は、私の故郷の宇都宮に行くことにしている。年老いた母の顔を見るためと、友人たちに会うためである。
|
|||
永平寺 高祖道元禅師七百五十回大遠忌記念 | top | ||
高祖道元禅師七百五十回大遠忌記念の歌舞伎「道元の月」が千秋楽を終え、二日目である。歌舞伎座から赤い大入り袋が郵送されてきた。中には百円玉が一個はいっていた。金額の多寡ではない。縁起物で、大成功であつたというメッセージが、何より嬉しい。私は深い安堵を覚え、快い虚脱感にひたっている。
|
|||
足尾の植樹が終わった | top | ||
「足尾に緑を育てる会」をつくり、鉱山開発にって表土さえも流失し、荒廃しきった足尾の山に植林活動を始めてから早や七年の歳月か流れた。私たちは、毎年四月の第四日曜日に植林を呼びかけてきたのである。
|
|||
雨降る「古事の森」での植林 | top | ||
その日の天気予報は、前線が移動してきて気圧の谷間に入り、関西地方は雨であった。四月二十一日(日)、京都のホテルで目覚めた時、私が最初に聞いたのは、雨の音であった。窓のカーテンを開くと、間違いなく雨が降っていた。
|
|||
五十年の杉と大根一本 | top | ||
花祭りの日、静岡県天竜市でお寺の集まりに呼ばれ、泊まっていきなさいというのを断り、遠州鉄道の最終電車で浜松に向かった。始発の岩水(がんすい)から乗ってまもなく、私の両脇に二人の男がす座った。私は挟まれたような具合であったが、怖いという感じではなかった。一人が声をかけてくる。
|
|||
快進撃の阪神タイガースよ | top | ||
世の中の流れが、いつも決まった方にいくのでは、おもしろくない。そんなことを思うのは、今、大阪にいて阪神タイガースのことを考えているからである。
|
|||
誰が負担、原発の後処理費 | top | ||
二〇〇二年三月三十一日(日)付の『朝日新聞』には、このような記事が出た。
|
|||
気を許せる友との語らい | top | ||
三ヵ月に一度ぐらい、私は大学時代の親しい仲間と会い、都内の酒場て談論風発したり、温泉旅行に一泊して夜を徹して語り合ったりしている。私にとっては気を許せる友との、楽しいひとときなのだ。
|
|||
地球温暖化と狂い咲き | top | ||
日に日に春らしくなってくると言いたいところなのだが、急に暖かくなり、一気に春めいてきた。桜のつぼみもふくらんで、ちらはらと花が咲き始めたようである。今年の桜の開花は、十数日早いという。
|
|||
連合赤軍事件の闇 映画「光の雨」に寄せて 表現者は事件を語れ |
top | ||
十四人の同志を投害した連合赤軍事件が、なぜ起こってしまったのか。この事件が社会に与えた衝撃はあまりに大きく戦前の左翼運動に根を持ち、戦後うねるようにつづいてきた学生運動は、一気に萎んでしまった。
|
|||
多い飛行機の遅れ | top | ||
最近、飛行機に乗っていて感じることがある 先日,講演を頼まれて羽田から福岡に飛んだ。市内の天神のホテルが講演の会場である。 講演は午後の十二時三十分からだ。タクシーに乗れば二十分ほどかかるが、地下鉄なら十分間みれば充分である。主催者がつくってきた予定は、一時間前に福岡空港に着くというものてあった。
|
|||
道元の思想を歌舞伎で | top | ||
三月三日(日)、三月大歌舞伎の初日の幕が上がって、ほっとしているところである。昼の部の最初の出も物「道元の月」は、私が台本を書いた。この二年間ほど、この台本のためにどれほどの時間を費やしたことであろうか。この間、歌舞伎座に通い続け、はとんどの芝居を見た。
|
|||
畑を森に還す中国 | top | ||
中年・四川省の成都の空港で上海行きの飛行機を待ちながら、本稿を書いている。成都は雰の都で、上海から来る時、飛行機は四時間半遅れた。飛行場で時間を過ごしたのだが、遅れても出てくれるのが、中国のよさだ。
|
|||
今年の流氷は拍子抜け | top | ||
今年のオホーツク海の流氷は、十二月中にやってきた。こんなことはめったにないのである。今年の冬は寒く、だから、しつかりと根性のはいった流氷がやってきたのだと思っていた。
|
|||
多い地方都市の空き地 |
top |
||
故郷の宇都宮に帰り、いつも気になることがある。宇都宮ばかりではなく、他の地方都市でも、私は同じような感想を持つ。
|
|||
不自由ない生活実感が不況の原因 |
top |
||
世は不況不況の大合唱で、明日への不安があり、買おうとしたものもやめておこうかなということになる。その結果、モノが売れず、また不況ということになる。悪循環である。私たちの生活実感からいって、これはもうなくてはならないというものはない。食料品など毎白必要なものはともかく、これがなければ生活できないというものは、とりあえずないのではなかろうか。
|
|||
我が家の猫事情 |
top |
||
我が家には三匹の猫かいる。どれも妻が拾ってきた野良である。
|
|||
「雪印」という看板 |
top |
||
雪印食品がオーストラリア産の牛肉を国産と偽り、箱を詰め替え、焼却処分する分として申請し、政府から補助金を得ていた。
|
|||