史蹟民宿大善寺
 山梨県甲州市勝沼は、山の中腹から甲府盆地の底にブドウの棚がつくられ、見渡すかぎり見事な畑てある。棚の下をよく見れば、緑色のブドウの実が膨らんでいる。精緻な細部が全体をつくっていることがよくわかる。なお全体をみれば、この畑をつくった人の労苦が染みていると感じてしまう。
 このブドウ畑のあっちこっちに、大小さまざまなワイナリーがある。山梨県全体ではワインの醸造所は七十近くあり、そのうち四十ほどが勝沼町にあるということだ。
 そのブドウ畑の真中、中央高速道勝沼インターチェンジのすぐ近くに、大善寺がある。その近くに宿もないせいもあり、史蹟民宿とうたわれた大善寺の宿坊に一泊することにした。
 下調ぺもせずにいったのだが、いってみて驚いた。大善寺の御本尊は薬師如来で、葡萄薬師と呼ばれている。伝わるところによると、元正天皇の養老ニ(七一八)年僧行基(ぎょうき)がこの地方にやってきて、日川を遡って柏尾に至り、大岩の上で坐禅の瞑想をした。二十一日目に薬師如来が霊夢の中に現れた。金色に輝く薬師如来は左手で宝印を結び、右手にブドウの房を持っていたという。これが勝沼にブドウがもたらされた最初である。行基はさっそく傍らのけやきを伐って薬師如来を刻んで安置した。この寺が柏尾大善寺である。
 この薬師如来が山上の薬師堂に安置されていて、薬師堂と、薬師如来をお祀リしている厨子が国宝である。
「あいにく住職がお盆の棚経をあげるため外に出ていますので、私が案内いたします」
 寺の受付をしていた大黒さんがいってくれた。山門をくぐって長い石段を登ったところに、大善寺本堂の薬師堂が建っている。檜皮葺(ひわたぶ)きの見事な姿のお堂で、国宝という言葉が一目見て納得されるのだった。
 大黒さんが重い檜の扉を開いてくれた。射し込んだ光の中には、薬師如来の眷属(けんぞく)の十二神将と、脇侍の日光菩薩、月光菩薩が須弥壇に祀られている。本尊の薬師如来とその本来の脇侍の日光菩薩月光菩薩とは、厨子の中に祀られ、その扉は固く鎖されている。
「文化庁の指導では、国宝は厨子の中に納めて扉を閉めておくようにとのことだったんですが、みなさんによく御覧いただけるようにと、御本尊も脇侍の菩薩も外に出していたんです。すると盗難にあいまして。数年間も行方不明でした。運よく見つかりまして、お戻りになりました。なんでも盗んだのは仏像専門の大泥棒ということです」
 大黒さんはこんな話をしてくれた。世の中には悪い人がいるものだ。どうも仏像を金に変えようとして足が出たらしい。御本尊の写真が近くにあるのだが、ブドウの房を持っていない。私の質問に、大黒さんは答えてくれた。
「最初の造立当初には右手にブドウを持っていたとされています。平安時代のはじめに最初の薬師堂は燃えて、現在は再建されたものですから」
 盛時には五十二堂三千坊を超えたという大寺であった。甲斐武田家の帰依がつづいた。織田信長の軍勢に追われて新府城を捨て岩殿城に向かった武甲勝瀬は、大善寺に泊まった後、妻子とともに田野で自害して果てた。ここに甲斐武田氏は滅亡した。大善寺に庵を結んでいた理慶尼の「武田勝頼滅亡記』の原本が、寺に残っている。
 大善寺のまわりはブドウ畑である。住職が自ら栽培しているのである。畑の一画には小規模なワインの醸造所があり、宿坊の食堂の冷蔵庫には自家製ワインがいくらでもはいっていて、飲みたいだけ飲んでよい。赤も白も七百二十ccで千五百円、一升三千円で、帰りがけに精算する。ラベルも銘もなく、まさに幻のワインだ。飲み口が爽やかなよいワインである。不思議な民宿であった。

「100万人のふるさと」2009年 早秋

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