十年ぶりの同窓会
 大学の同級会に、ほぼ十年ぶりにいってきた。前回の時は五十歳を少し出たばかりの頃で、今回は六十一歳である。この十年で、自分たちの置かれている状況が大きく変わっていることを知った。
 五十歳の時、まだギラギラした気分か残っていて、競争の真っただ中にいた。私は経済学科の出身で、私自身ははやばやと別の道を歩いていったのだが、同級生たちは経済の分野にはいっていったものがほとんどだ。
 私たちは団塊の世代てある。学生時代には高度経済成長期で、社会は急激にふくらんでいたので、就職に困るということはなかった。私はまず出版社に就職を決め、結局入社せずに自由に生きる道を選んだ。何をしたかといえば、工事現場の日雇い肉体労働である。小説を書きたいとその頃から願っていて、人の生きている現場に身を置いていたいと思ったからだ。
 結婚し子供ができて、故郷に帰って市役所に五年九ヵ月勤めた。三十歳で文筆家としてフリーの生活にはいり、今日まできた。
 その間、経済界にはいった同級生たちは、経済活動の先兵となり、海外駐在などもして、日本の高度経済成長を支えてきたのだった。そして五十歳になって同級会をした。その時の話題は、誰が高給をとっている、誰が重役になりそうだというようなことてあった。組織の中の競争からはやばやとドロップアウトしてしまった私は、話題についていけず、違和感を持った。だからその後同級会の案内をもらっても、顔を出さなかった。
 それから十年たち、熱心に出席をすすめてくれる同級生があって、気が進まないながら私は出席した。最初の印象は、みんな年取ったなということだ。白髪になり、ハゲになり、腹が出てきた。
 六十歳を過ぎ、定年を迎えたのである。私は現役で入学したが、浪人経験者も多い。半分は職場を去っている。名刺のないものもいるし、名刺をもらっても会社が変わっている。有名企業に就職したはずなのに、聞いたことのないカタカナの会社名になっている。そのことの理由は聞くまい。
 重役になってバリバリやっているものもいるが、みんな競争心が抜けて、穏やかな表情になっている。二十三、四歳で大学卒業のスタートラインに立って一斉に走り出し、四十年ほどたって定年というゴールに着いた時には、また同じ場所に戻ったのである。
 仏教でいう同事(どうじ)である。人はみな同じだということだ。

「第三文明」2009年4月号