走れ首相 | |||
たまたま私は福岡での仕事に呼ばれ、飛行機のプレミアムシートに坐っていた。飛行機が動き出す間際、黒いスーツの男たちがどやどやと乗ってきた。それまではずいぶん空席があったのだが、たちまち満席になった。何人かの男たちが坐席から腰を浮かせ、まわりに鋭い視線を放っていた。雰囲気がそれまでとはまったく変わった。連立を組んで与党になっている政党所属の大臣の顔があるのを、私は見た。 飛行機は何事もなく滑走路を走り出し、窓の外の地面が下に遠ざかる。安定飛行にはいると、私はテーブルを倒して原稿用紙をひろげ、書きかけの原稿を書く。連載小説の一回分である。毎年のことなのだが、年末は原稿締め切りが早い。出版社も印刷所も製本所も正月休みをとるので、その日数を確保するためである。正月ぐらいゆっくり休むためにも、私もふくめ多くの人が頑張らなければならないのであった。 原稿執筆には飛行機の中はコーヒーなども運んできてくれ、完全に一人になれるので、案外いい空間なのだ。だが当然のことながら、時間がくれば飛行機は着陸する。残りの部分は、日帰りをするので、今夜の帰りの機内で書くことにする。 機内ではみんなが立ち上がり、頭上の荷物入れから荷物を取り出したりして、降りる準備がはじまる。 「すみません。先に降ろさせてください」 ダークスーツの屈強な男が、通路に立った私の背後でいう。 「どうぞ」 こういって私は横にどく。出口のドアが開き、前のほうに立った男たちが一斉に動き出そうと前方に身体を傾ける。その男たちの中に、私は首相の顔を認めた。小柄な首相は肩幅の広い男たちの間に沈むようにしていた。上等なカシミヤのコートを着て、やはり高級なカシミヤの襟巻きを巻いていた。 ドアが完全に開き、スチワーデスが横にどくと、十人ほどの男たちが首相を真中に取り囲むようにして、走りはじめたのだ。その固まりに引っぱられるようにして、私も外に出た。彼らと同様私も一途に同じ方向に向かっているのだという情熱さえも感じた。 タラップを走って、ターミナルビルにはいる。まわりの人たちが、驚いたようにしてその一団に視線を集める。私は何処に向かっているのかわからなかったが、闇雲な力に引っぱられてついていった。 そのままいこうとした時、空港の職員があわてて割ってはいり、私の前に行き止まりの柵を立てたのだ。首相の一団の背中は廊下の向こうに遠ざかっていき、私は行き止まりの柵に導かれて階段を降りた。 首相や大臣はいつもああやって走っているのだろう。空港や駅で固まって走っている姿を、私は何度か見ている。どんな用事できたのか知るよしもないが、福岡は首相の選挙区である。あんなふうにあわただしく走りまわりながら国の運営をしているのが、首相の仕事だ。 「田園まさに荒れなんとす」 私は階段を降り、一般客用の出口に向かって歩きながら、この言葉を思い浮かべた。私は農業雑誌に探訪記を連載しているし、地方にいくことも多い。カロリーベースの食糧自給を四〇パーセント以上に高めようと政府は掛け声をかけるが、数字は下がりこそすれ、上がることはない。日本の農相はどんどん活力をなくしていると思えて仕方ない。 農村の本当の問題は、高齢化と後継者不足である。田んぼにいってみると、私の印象では、トラクターやコンバインに乗っているのは、たいてい七十歳代の老人だ。十年前には六十歳代で、二十年前には五十歳代であった。壮年としては仕事ができたのである。 そして、十年後には八十歳代になる。こうなった時、日本の農村は人影さえも見えなくなり、田畑には雑草が生い繁るのではないだろうか。 高齢化による耕作放棄地にしないため、今は集落営農といい、集落のうちの余裕のある人が請け負って耕作している。しかし、耕作できる人もしだいに見当たらなくなり、仕方なく耕作放棄地にしているケースも多くなった。若者たちは都会にいったきり、村には正月しか戻ってこない。 政府の掛け声と実態とはあまりに離れている。この国の将来は、いったいどうなるのだろう。 走る首相に、このことを問うてみたい。人の労苦や未来を背負い込み、首相や大臣とは大変な役目を担っているのだが、飛行機の中から駆けだそうとする時の首相の目が虚(うつ)ろに感じられ、こちらも不安になる。毎日毎日あまりに多忙で、言動も注目され、つねに人の目を意識していなければならず、攻撃してくる言葉におびえ、首相の仕事を誠実にこなそうとすればそれは底知れない大変なことなのである。廊下を遠ざかっていく後ろ姿に、頑張れ首相と私は声をかけたい。 『向上』2009年2月号 |