知床毘沙門祭の夏
 初夏というのは、一年中で最も気持ちのよい季節である。六月の最後の土曜日と日曜日は知床毘沙門祭のために、私は毎年必ず知床にいる。たくさんの仲間が集まってくるのが楽しみだ。
 知床毘沙門堂の開堂式をしたのは、一九九五年七月三日のことだ。この毘沙門堂はみんなの手造りで、私も金槌(かなづち)を持った。たくさんのお坊さんがきて、思いがけず賑やかな法要の後、地元の人たちの心づくしの料理が山とならび、生ビールを飲んで野外パーティになった。牛の脚も一本焼いた。あまりにも楽しくて、翌年もやろうということになり、聖徳太子殿、観音殿もできて、今年十四年目を迎えるのである。
 その翌日はお坊さんたちと奥地の番屋にいく。海上安全と大漁満足を祈願するためだ。神棚に祈った後、漁師たちが暗いうちから剥(む)いてくれたウニなど番屋料理をご馳走になる。行き帰りには必ず野生のヒグマが出て、歓迎をしてくれている雰囲気になるのも不思議だ。
 祈願もしてもいっこうに大漁にならないではないかと、私はちくっと皮肉をいわれたこともある。だがこの数年間、知床のサケマス漁は空前の大漁である。正直のところ、私はほっと胸をなでおろしているのだ。大漁なら、みんな幸福になる。
 人がたくさん集まるようになり、勧進代表の私は忙しくなるのだが、一年に一度会える人の顔を見るのが嬉しい。法隆寺、相国寺(金閣寺、銀閣寺)、清水寺、聖護院、中宮寺等々、奈良や京都や東京からたくさんのお坊さんが宗派を超えて集まってくださる。分けへだてがない。円満な顔と挨拶を交わすところから、私の本当の夏がはじまるのだ。

日本経済新聞(夕刊)2008年6月25日(水)

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