この国の原点
 私の父はおよそ十五年前に亡くなった。パーキンソン病を患い、循環器系の病気が進んでいった。気力がまだはっきりしている時に、小説家の私のためにワープロで自分の「生涯の記」を残してくれた。本当に短いものであるが、今それが私の机の上にのっている。何度も何度も読んできた。
 父は中国山東省済南でごく一般的なサラリーマンをしていた。兄に手紙をもらって故郷の宇都宮に帰ると、嫁になるべき人が待っていた。その場で祝言をあげ、その人を済南に連れて帰った。それが私の母だ。
 やがて父は関東軍に補充兵として徴兵され、旧満州で苛酷な軍隊生活を送る。戦友は次々と戦死し、自分もいつも死と隣りあわせだった。一方、母は一人で帰郷したとたん宇都宮空襲に遭い、自分は助かったものの多くの死に立ち会う。
 昭和二十年八月、父はソ満国境警備のため貨車にのっていた。新京(長春)駅に着いた時に敗戦を知らされ、ソ連軍に武装解除される。それから東に向かって行進させられ、途中戦友三人とコーリャン畑に脱走する。やがて故郷に帰ってくるまでの顛末(てんまつ)が手記として残されている。
 どうにか復員できた父を待っていたのは、故郷の山河だった。生きていてくれた妻も、故郷の自然そのものだ。働いたら働いた分だけ自分のものになる時代がやってきた。そうして生まれたのが私なのだ。
 一度は破れたこの国は、麗しい自然の上に働きものの庶民の父や母が帰ってきてつくられたのだ。父や母の涙や汗が、私の原点であり、この国の原点なのだ。いつの日になるのかわからないのだが、私は病床で手記を残してくれた父の深い思いを、小説にして書き継いでいきたいと願っている。

日本経済新聞(夕刊)2008年6月18日(水)

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