永遠の別離
 できるだけ母のところにいきたいのだが、日々の雑事に追われて時がどんどん過ぎていく。来週は必ずいくつもりである。
 宇都宮で一人暮らしをしていた母は、一時的に老人保健施設にお世話になっていた。三食がでるし、暖かくていきとどいた世話をしてくれ、満足していた。ところが入浴中に倒れた。ちょうど私の妻と娘が見舞いにいっている時であった。
 私はといえば、テレビ番組「ようこそ先輩」の撮影で、母校の小学校の児童に授業をしていた。命について教えようと、自分が生まれた時のことを誰かに取材して作文にする宿題を子供たちに出した。二日間のうち一日目の授業が終るや、母が倒れたことを知らされ、病院に急いだ。
 母は脳内に大きな出血をし、余命一週間と診断された。休日の一日を置いて教室に戻った私は、子供たちと八百字の作文を書いた。子供たちの作文を添削し、朗読してもらった。私は自分の作文を読みながら、涙があふれてきてどうしようもなくなってしまった。命について、私は巧まずに教えたことになる。
 あれから二年と数カ月たち、一週間の余命と診断された母はまだ命を保っている。延命装置をつけたのではなく、鼻から流動食をいれるだけなのである。昔から母は働き者で丈夫な人だった。ただし私が枕元にいっても、目は開いているのだがこちらを見ることもない。私は手を振り、思いつくまま昔のことを一人語りしてくるだけなのだ。語りながら私は母とのことを思い出し、涙ぐんでしまう。父はとうにいない。
 母との永遠の別離がすぐそこに迫っているのはわかっている。母がいなくなっても、故郷との絆(きずな)は失わないでいたいと願う。

日本経済新聞(夕刊)2008年5月28日(水)

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