静寂の福田時
 月刊誌「家の光」の取材で、兵庫県加西市にいった。野には菜の花が満開で、畔にはタンポポが咲き乱れ、播州平野は春爛漫(らんまん)というべきよい日であった。
 トマト・ハウスは夏のはじめまで収穫すると、ビニールを剥いで水田にする。水をいれると余分な肥料が溶けて流れ出し、溜池の水中生物がカルシウム分などを運んで、土を健康に保つ。薫蒸消毒などしなくてもよいのである。稲は二カ月だけ育て、鋤(す)き込んで肥料にする。
 そこまで土づくりを大切にする農業を取材してから昼食をとり、時間が余った。いきたいところはないかと担当の編集者にいわれ、先般御遷化された大本山永平寺七十八世貫首宮崎奕保(えきほ)禅師が小僧としてはいり、師の小塩闇童(ぎんとう)老師のもとで得度された加古川市の福田寺(ふくでんじ)はこのへんだろうと思い至った。そういえば、私は故宮崎禅師の卒哭(そつこく)忌法要、すなわち百日法要のため大本山永平寺東京別院の長谷寺にいってきたばかりだった。
 レンタカーのナビで見ると、瀬戸内海に向かってほぼまっすぐ南下すればよく、さほどの距離ではない。さっそく向かった。海は見えないのだが海の近くの住宅街に福田寺はあった。思ったより街の中である。
 山門は開かれ、宮崎禅師の揮毫(きごろ)により「福田寺」の額がかかっていた。庭に雑草一本生えていず、見事に掃除がされている。ここで修行する禅僧が作務をした結果であるが、隅隅まで凛とした気品が張りつめている。その高貴な気配に私は打たれた。
「わしは師の真似をしてきただけじゃ」
 宮崎禅師のお声が甦ってくる。伝統がなんら揺らぐことなく受け継がれている。私は本堂に合掌礼挿してそっと寺を辞した。

日本経済新聞(夕刊)2008年4月30日(水)

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