日本の農業への提言
 月刊誌「家の光」(家の光協会刊)に連載をしているので、私は毎月全国の農村をまわっている。宮崎の千切り大根を取材したかと思えば、月を改めて群馬県渋川にコンニャクとシイタケの取材にいく。
 渋川は軽石まじりの関東ローム層の台地で、水がないので田んぼができず、養蚕をしてきた土地柄である。昭和四十年代に群馬用水が引かれ、待望の水田ができるようになった。ところが二、三年後米は生産調整のため減反され、転作のコンニャクイモ生産が拡大された、固有の歴史を持つ。
 昭和四十年代以降、日本の農村は米の生産調整に苦しんできた。米はまだまだできるのに、つくれなかった。収入を充分に得られず、村は疲弊してきたのである。減反は耕地面積の約四〇パーセントで、四〇パーセント分の収入が、手をこまねいていたのでは減るということになる。余った耕地の米からの転作、つまり他の作物をつくることに成功したところが、よい産地に育ってきたのである。
 日本の農業のカロリーベースの自給率はとうに四〇パーセントを切り、なお下がりつづけている。世界の食粗事情も逼迫(ひっぱく)し、日本の経済力もかつてのように絶対ではない上に、資金があれば食糧が買えるという時代ではなくなった。それなのに日本農業の偉大な潜在力を眠らせたままにしておいていいのだろうか。眠っているつもりが、いつの間にか死んでいたとなりかねない。
 近い将来、車は石油で走るのではなく、穀物からつくられたバイオ燃料が主力となる。米はコストさえあえば、飼料にもなる。牛は藁(わら)まで食べる。農業にありったけの力をふるえるようにすべき時代がきたと、私は確信するのである。あとは政治の力だ。

日本経済新聞(夕刊)2008年4月9日(水)

戻る