均質の街
 私は旅から旅の日を送っている。誰かの車に乗せてもらってふわっと眠り、目が覚める。すると自分が今どこにいるのか、咄嗟にはわからない。どこにいっても同じ街並ばかりだからだ。
 日本の特に郊外の街並は、どうしてこんなに均質になってしまったのだろう。先の大戦で日本の主な都市はほとんどアメリカ軍の空襲のため焼けた。その後急激に復興したから、奥行きのない実用一点張りの街並になったということはあるだろう。
 戦後、車の普及とともに街は郊外へと広がり、農地をつぶして広大な駐車場のあるスーパーなどができていった。この新興の街は当然すみずみまで経済原理に支配される。経済競争力を強くするため、コストという価値を追求する。品質がよく、質のばらつきがなくて、安価というのは、工場で大量生産されたものに限る。この経済のグローバル化が、街造りにも当然反映されている。
 建物も工業製品のユニットということになり、どの街にいっても実用一点張り、規格品の建築物がならぶ。全国にあるコンビニは、売られている商品も同じなら、ディスプレイもまったく同じだ。それが消費者の安心なのだろうが、均質の安心で、そこには個性はまったくない。大量生産されたものを大量販売するのが、苛酷な経済競争に打ち勝つ方法だから、全国展開の支店やチェーン店がどんな地方にいってもならぶということになる。
 全国津津浦浦によく同じ街並をつくったものである。このエネルギーははかり知れない。旅人とすればどこにいこうと均質な世界から出られず、出口のない世界をさ迷いつづけるということになるのだ。

日本経済新聞(夕刊)2008年3月26日(水)

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