宮川流域ルネッサンス
 かつて伊勢参宮の折、宮川の畔には伊勢神宮の船が用意されていて、渡し賃はとらなかった。宮川を越えると伊勢神宮の領域だったのである。
 宮川は大杉谷谿谷(けいこく)から伊勢湾河口まで延長約九十キロ、流域面積九百二十平方キロの、三重県最大の大河である。平成十四、十五、十六年と三年連続で、国土交通省一級河川水質調査でベスト1に選ばれた。
 何年も前、千葉県松戸市から東京都との境界の江戸川に流れ込むある川に、私は江戸川からカヌーで遡ったことを思い出す。そこには洗濯機や冷蔵庫やバイクが投げられ、粗大ゴミ捨て場だった。水も汚れきっ て腐臭がした。河口から五十メートルほど進んで逃げ出した。
 三重県の呼びかけで宮川流域の伊勢市をはじめ最上流の大台町までの自治体をつなぎ、「宮川流域ルネッサンス協議会」が組織され、宮川を生命があふれ人の暮らしやすい流域にしようと一生懸命だ。私も活動報告に参加した。
 森林組合はシカの食害を防ぐため、大台ケ原の樹木の幹に金網まきつけの作業を呼びかけ、漁協は水量を回復するため広葉樹の植林をする。竹炭焼き、伝統漁法、登山道整備などをするのはボランティアだ。
 活動をはじめて十年になり、成果も上がってきたのだが、平成十六年台風21号で山崩れが何箇所かで起こって犠牲者もでた。道は寸断され、今も完全には復旧していない。アマゴ養殖場も破壊された。
 山崩れの最大の原因は、杉ばかり植え、間伐をしなかったからだ。宮川の回復に努力する協議会にとっては、まさに水をさすようなことだったのだ。それでも負けずに努力をつづける人たちと私は会ってきた。

日本経済新聞(夕刊)2008年3月12日(水)

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