杉の悲鳴
 林野庁から送られてきた広報誌「林野」のページを開く。全国の杉人工林面積は、約四百五十二万ヘクタールという広大さだ。森林全体の一八パーセントである。
「荒廃した国土の緑化や旺盛な木材需要への対応に向けて、多くの人の手によって戦後営々と造成された資源であり……」
 こう書かれ、今は少花粉杉や広葉樹への転換がはかられているということだ。この杉の花粉生産量は、一般の杉にくらべて約一パーセント以下らしい。期待はすべきである。だが森のことであるから、畑の作物を換えるようにはいかず、少花粉杉が育つまでには時間がかかる。この間も、杉花粉症で多くの人が苦しまなければならない。
 私はずいぶん前から、杉が悲鳴を上げていると感じてきた。杉も私たち人間も、この世で生を紡いでいる生きとし生けるもので、その点では何も変わりはない。すべての生物の最大の仕事は、自分の種族の遺伝子を未来につなぐ、つまり子を残すことだ。そのためには若く元気であることが望ましい。生息環境が悪いとストレスがかかり、早く老化する。
 杉の適地適木は水が豊富で、適度に陽当たりがあることだ。渓流近くの谷地などに天然杉は多く生えている。人工造林も、昔は山の下の部分は杉で、上は檜にした。戦後は育ちの早い杉をどこにでも植えた。上の乾いた陽当たりのよいところに植えられた杉は、ストレスを抱え、老化しないうちに早く遺伝子を残そうと、大量の花粉を放つ。これが杉の悲鳴だ。杉自身には種族の生存を懸けた必死の行為なのである。
 山河の声を聴くとこのような理屈になるが、花粉症に苦しむ人には、今年もまた憂鬱な季節が巡ってきたのである。

日本経済新聞(夕刊)2008年3月5日(水)

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