裸の夏
舞踏家麿赤兒(まろあかじ)と知り合ったのは、麿が唐十郎の状況劇場を一九七一年に去り、大駱駝艦(だいらくだかん)を翌年に立ち上げる間の、いわば浪人の時機であった。舞踏は日本独特のダンスの様式である。身体中に金粉を塗ったり白塗りをしたりして、裸体で踊る。日本よりもアメリカやヨーロッパで広く知られている身体表現といってよいかと思う。
 元祖の土方巽(ひじかたたつみ)(一九二八〜八六)は、ガニ股で足が太かったという噂だ。足を爪先までぴんと伸ばしたりする西洋的なバレエには不向きだが、日本人に合った肉体表現があるはずだというところから出発した。
 腰を低く落とし、すり足で歩くのは、田んぼで田植えや草刈りをしているようである。胎児のように丸くなっていつまでも動かない。大きく口を開いて舌を出し無言で笑いながら踊る。日本で生まれた舞踏は、猥雑な笑いにあふれていて、農耕の所作がたっぷり取り入れられ、なんだか懐かしいものである。
 このたび麿赤兒率いる舞踏集団の大路舵艦が、毎年長野県白馬村でつづけている夏合宿を追ったドキュメンタリー映画「裸の夏」が公開された。その機会に私は見にいって久しぶりに麿赤兒に会い、会えば別れがたくなって酒を飲んだ。
 舞踏を求めて世界中から集まった三十四人の男女が、一週間の修練をする。小ぎれ一枚だけの自作の衣裳を着て、裸体に金粉と白粉を塗り、舞踏の公演に至るまでの過程を映画は追った。厳しい稽古に耐え、舞踏の深みにたたき込まれ、古い自分を捨てていく。葛藤を乗り越え、生まれ変わったかのように生き直す若者たちの姿は感動的だ。何故金粉かと問われ、麿赤鬼はいう。
「金粉塗ると仏様ですからね」

日本経済新聞(夕刊)2008年2月13日(水)

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