宮崎奕保禅師御遷化 | |||
永平寺第七十八世貫首宮崎奕保(えきほ)禅師が御遷化(せんけ)された。諸行無常の世で死は誰にも平等に訪れる。百六歳になってなお若い雲水たちの先頭に立って毎朝座禅修行なさる峻烈(しゅんれつ)なお姿に、私は禅師から死という言葉を無意識のうちに除外していたものである。 約二千五百年前、かのお釈迦さまも皆に惜しまれながら御遷化された。どんなに偉大な人物でも、人々と同じように生き、同じように滅する。これを同事(どうじ)という。人は皆同じであり、だから一人一人が尊い。 私は宮崎禅師とお話をしたことが幾度かある。永平寺の機関誌「傘松」に小説「道元禅師」を連載している折、禅師はにこにこしておっしゃった。 「小説よろしくお願いしますね」 道元禅師御遷化まで書いて、小説を完成させなさいということだ。私はこの小説を書き終えるまで死にたくないと思ったものである。完成し、刊行して、宮崎禅師との約束を守れたことに安堵(あんど)したのである。 宮崎禅師で忘れられない御言葉がある。 「禅師などと祭り上げられているが、わしはなんにも偉くない。ただ師匠の真似(まね)をしてきただけだ。朝超きてから寝るまで、座禅、食事、草むしり、掃除、読経、みんな師匠の真似をしてきただけじゃ。一日真似れば一日の真似、一年真似れば一年の真似、一生やってほんまもんになる」 師のさとりは、そのまま弟子のさとりになる。器になみなみとした水が師から弟子に一滴も余さずに注がれ、だが師の器から一滴も減るわけではない。それが嗣法(しほう)である。宮崎禅師は師を一生真似、その先ずっとたどっていけば道元禅師を真似、達磨大師を真似、お釈迦さまを真似ているのだ。 日本経済新聞(夕刊)2008年1月23日(水) |
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