フエ会議
 私がベトナムにいったのは、社団法人ベトナム協会主催のフエ会議に呼ばれたからだ。財界人や教育者や文学者が集まり、日本とベトナムの交流について話しあった。
 私が楽しみにしていたのは、フエ在住の作家チャン・トイ・マイさんと会うことだった。マイさんの短篇「天国の風」は、高樹のぶ子氏の「アジアに浸る」シリーズの一つとして、文芸誌「新潮」に翻訳掲載された。小説はその時代その土地で人がどのように生きているかを、等身大の日常的感覚から描くものだ。精神も含めた人間に触れるには、小説を読むことが一番である。精力的にアジアを旅してその土地の文学を掘り起こしている高樹氏はよい仕事をしているなと、改めて感心したしだいである。
 マイさんはいつも静かに微笑をたたえた魅力的な女性であった。ベトナムと日本では表層の風俗は違うが、結局人間として皆同じだという普遍性が作品に感じられ、共感を覚える。
 フエ会議にはトヨタ自動車の張富士夫会長もこられていた。私はこれまで国際会議といえば作家の集まりにしか出たことがないのだが、国際企業トップがくると、雰囲気がまったく違う。フエ省人民委員会委員長が、省についてのプレゼンテーション、つまり売り込みをする。海が深くて、港には五万トンの船が接岸できる。ミャンマーからタイ、ラオスを通って、フエに出る東西経済回廊の道路ができた。市内の王宮は世界文化遺産に登録されている。要するにトヨタに投資を求め、王宮保存、病院や大学建設の援助を求めているのだ。
 多くをあからさまに求められているのに、張会長がたえず微笑を崩さず悠揚と受けとめている器量の深さに、私は感心した。

日本経済新聞(夕刊)2008年1月9日(水)

戻る