日光いろは坂の紅葉

 男体山の上のほうから、中禅寺湖に向かって、紅葉はゆっくりと降りてくる。また奥日光の湯の湖あたりから、紅葉は移動してくるのだ。この変化が、私にとっては秋の深まりである。
 モミジやハルニレやカツラなどの広葉樹が多いので、錦繍(きんしゅう)と呼ぶのにふさわしい。赤と黄色が見事に織りなされ、全体とすれば黄金色の印象だ。またツルウルシが燃え上がるように真赤に色付き、いかにも秋らしい気配を伝えてくる。
 いろは坂のドライブは、秋がどのあたりまできているかよくわかるのである。幾種類かの秋の中を走り抜けてくるといってよい。真っ盛りの秋の色の中を通って、男体山の雄渾(ゆうこん)な山容に接すると、冬も近いのだなと感じる。
 宇都宮で生まれ育った私は、男体山の山の色で季節の変化を感じたものである。朝起きてはいった便所の窓から、男体山をしみじみと眺めた。雨が降ったりして見られない時には、淋しい思いをしたものだ。山が白くなって真っ先に冬がやってきたことを知り、夏は山の中頃から下のほうが深い線に染まり安心感を与えてもらったものである。秋はゆっくりと降りて近づいてくる季節の流れが見えた。
 いろは坂は、何度ドライブしたか数えられない。紅葉の中で長蛇の列を形成したこともあるのだが、まわりが美しいので過ぎてゆく秋を惜しむ気持ちが生まれ、渋滞も悪いものではないと思えた。紅葉の中にいつまでもいたいと思ったりもする。
 実りの秋は、いろは坂の周辺に生息する猿の群にとっても、生きやすいのである。ミズナラやブナになったドングリを食べるのに、猿たちは忙しい。早く食べなければ、秋はたちまち通り過ぎていってしまうのである。普段は渋滞した車のまわりに餌を狙って群がる猿の群も、そんなことはしていられないとばかりに、木の実を食べるのにおおわらわだ。本来の猿に戻ったのである。
 日光の秋は、壮絶なほどに美しい。山の紅葉が始まる前、まだ樹木が緑の色をたたえている頃、中禅寺湖の水の中では一足先に紅葉の彩りがやってくる。ヒメマスの身体が婚姻色で真っ赤に色付く。身体の色を鮮やかにするのは雄のほうで、卵を持った雌が雄の美しさに魅かれてカップリングを許し、産卵行動をする。美しく強いものしか、未来に向かって遺伝子を残すことはできないのである。
 中禅寺湖を海とし、浅い川を溯って産卵をするのだから、命懸けとなる。死を懸けた旅をするヒメマスは、せめて身体を美しく装うために、死化粧をしていく。秋は生と死とが交差する季節である。山の紅葉も、散ったその後からは厳しい冬がやってくるのだ。
 いろは坂をドライブしながら、秋には誰でもが詩人になる。実際には詩の一篇もひねり出すことはできないにせよ、気持ちばかりは詩人である。それが絶頂の美しさの持つ力というものなのだ。

「Ways」秋冬号 JAFMATE社

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