法隆寺の鬼追式
 法隆寺の西円堂修二会(薬師悔過)の行に参加して、帰ってきたところである。私は毎年正月の七日間は法隆寺の金堂で行われる金堂修正会(吉祥悔過)(きちじょうけか)に参加するのだが、今年はどうしてもいくことができなかった。南極に誘われて旅行をしてきたからである。
 そこで翌月の西円堂修二会にいってきたというわけである。西円堂は鎌倉時代に建てられた八角形の円登で、二十七段の石段を登ったところにある。法隆寺西院伽藍の片隅に建っているということもあるのか、民間信仰の残っているところで、お百度を踏んで願をかけている人の姿をよく見かける。内部には大工職人たちがおさめた錐(きり)がたくさん奉納されている。金堂や五重塔にくらぺれば訪れる人は少ないのだが、西円堂も内部の御本尊の薬師如来像も国宝である。峯の薬師として信仰され、脱活乾漆造の国宝だ。堂内にはつい最近まで、刀剣、弓、甲冑、鎧、櫛などがおびただしく奉納され、雑然としていて、壮観でありた。太平洋戦争で供出されたものも多いのだがこ戦国時代のものもある。最近整理され、一万点以上が宝物庫に収蔵された。畿内はもとより、九州や四国や関東からも奉納されている。病いを治す薬師如来は、まことに多くの人の願いを背負っていたのである。
 私は二月一日には法隆寺にはいり、三日の夜にはどうしても東京にいなければならなかった。ところが三日の夜は追儺会(ついなえ)といって鬼追式で、鬼があたりかまわず松明の火をまき散らすという勇壮な行事だ。午後五時から堂内で法要がはじまり、クライマックスの鬼追式には出られないということになる。
「鬼追式だけでも出られたらいいですのに。堂内で太鼓と鐘を打ち鳴らすと、鬼が松明をもって暴れます。その火の粉に当たると一年間平気で過ごせるとされているから、きゃーっ鬼さんこっちに松明投げてなんて、おばさんから声が掛かります。来年はぜひきてください」
 西円堂内で長い経を唱え一連の法要がすんだ時、若いお坊さんが私にいう。寒い堂内で二日間行(おこな)いをした。いろんな作法があるのだが、結局のところ次のことを祈っている。
「天下安穏 万民豊楽 地味増長 五穀成就」
 つまり地力を高めて、食糧である五穀を実らせ、すべての人が豊かに楽しく暮らすことができれば、天下は穏やかで平和だということだ。そのための祈りをしている。薬師如来に自分たちの過ぎた日に犯した誤りを悔い、新しい年に希望を持って進もうというのだ。その祈りは僧たちによって西円堂で行われ、結願(けちがん)作法が終ると、庶民にも理解しやすいパフォーマンスとして、鬼追式が行われる。それが人々には人気で、夕方になると西円堂のまわりはびっしりと人で埋まる。
 私は実際に見たことはないのだが、聞いたところによると次のようなストーリーだ。鬼はかつては僧が演じたが今は法起寺(ほっきじ)のある岡本の人たちが扮する。その面や衣装や武器が、私が寝る寺務所の部屋に運び込まれていた。
 太鼓と鐘が堂内で打ち鳴らされると、西円堂の北の薬師坊の羅生門と呼ばれる門が開けられ、松明の火に照らされて、黒鬼(父)、青鬼(母)、赤鬼(子)が鉞と宝棒と宝剣とをそれぞれに持って現れ、舞台となった西円堂の基壇で刃物を研いだりしてから、観客のほうに向かって松明を振り回しながら投げる。金網が張ってあって松明はまともには飛ばないようになってはいるが、光の粉はかかる。
 この時、法隆寺の寺僧はどうしているのか。かの若いお坊さんはいう。
「鐘と太鼓を打ち鳴らしつづけて、時々跳び込んでくる火を消します。お堂の中から火を見るのもいいものですよ」
 来年は時間をつくってこなければならないだろう。私は修行の手伝いをしながら、十数年間法隆寺の法要に参加させてもらっている。鬼追式の時にも西円堂で法要をしているから、お堂の中で跳んでくる火の粉を消す役目になる。
 今回も時間のある時、私は法隆寺の伽藍の中を改めて散索した。千三百年間そのままで建っている伽藍は相変わらず壮観である。この建物の背景には豊かな森があったことは、改めて語るまでもない。
「確かに千三百年はもった。しかし木造建築の寿命がどのくらいあるか、誰にもわからへん。法隆寺は誰も知らない世界にはいっとるんやから。千三百年と百年で駄目にならんとは、誰もいえん」
 大野玄妙管長の口癖である。本当にその通りだと思う。そこで昨年春、法隆寺が借景とする裏山に、寺の建築材料を供するために「斑鳩古事の森」をつくってきた。管長や若いお坊さんたちと、私も植林の汗を流したのである。

「みどりのとびら」2007年3月号 緑資源機構