明日母を見舞いに行こう
 明日少し早起きして、宇都宮の母のところにいこうと思っている。母は脳出血で倒れ、危篤になってもう七ヵ月が過ぎた。私はできるだけ見舞いにいっているつもりなのであるが、危篇の緊張感があまりにもつづいているので、見舞いにいく回数が知らず識らずのうちに少なくなってきていたのである。そのことで、ある人に叱られた。その人は強い口調でこういった。
「あなたの今やるべきことは、旅行などすることではなく、できるだけ病院にいって、お母さんの手を握っていてやることでしょう。そうすれば、お母さんはどんなに安心するかしれないでしょう」
 そのとおりであるのだが、いわれた瞬問はカチンときた。私の旅は、物見遊山というより、仕事なのである。取材をして文章を書いたり、集まりに呼ばれて講演をすることで、私は生括をしている。仕事をしなくなれば、母になるべくいい状懸の医療をほどこしてやろうとする経済基盤は崩れてしまう。だがその人は、いい気になって講演などしていないで、母のそばにいなさいというのだ。いわれた時は、強い口調を向けられたこともあって、いい返してしまった。その人は看護師で、夜は一人で四十人もの患者をみているから、充分に手もとどかないということだった。その苛立ちを、私にぷつけてきたのかもしれなかった。
 いわれたことが、どうしても私の頭を去っていかない。母のそばにずっとついていることなどできないではないかと思うそばから、その人の言葉にも一理あると思ってしまうのだ。本当に旅行などしている場合ではないかもしれないのだが、ずっと先まで約束が詰まっていて、身動きができない。もちろんすべて私が招いたことである。
 そんな調子で悩んでいると、母の顔が浮かんだり消えたりする。なんとか頑張れば母のところにいく時間がとれるのだから、明日いこうと私はとにかく思ったしだいである。だが数時間いて戻ってくるにすぎない。私の悩みが解決したわけではない。
 弁解はいくらでもできる。社会生活を営むためには、どうしてもしなければならないことがある。そのことをいいつのると、また母の顔が浮かんできてしまう。介護とはそのくり返しだ。葛藤は何も捨てようとしないことからくるとわかってはいる。
 とにかく明日母のところにいって、声をかけても返事はないのだが、とりあえず会ってこようというのが今日決めたことだ。私を叱った人に感謝したい。もちろん私のささやかな決意を、その人に伝えることはできない。

「美空」2006.11.1 Vol,5
オリックス・リビング(株)