山下洋輔さんのこと | |||
千葉でピアニストの山下洋輔さんとトークショーをした。その時に、山下さんは『蜜月』を弾いてくれた。 『蜜月』は私の作品で、ATGで映画化された。私がシナリオを担当し、山下さんが音楽を担当してくれた。編集のすんだフィルムをビデオで流しながら、山下さんはまことに刺激的なフリージャズのピアノを弾いたものだ。場所は新宿のジャズ喫茶「ピットイン」であった。千葉のトークショーで、山下さんは『蜜月』のテーマを弾いてくれ、最後に「ボレロ」を弾いた。 十年前、山下さんと博多の予備校に呼ばれて、同じようにトークショーをしたことがあった。博多では40歳代の山下さんは元気の盛りで、ゆっくりと「ボレロ」に入り、肘打ちから頭突きまでくり出してすさまじい演奏をしたものだ。 弾きながらピアノを押してステージから消えた。それでもピアノは鳴りつづけ、押されて背中から戻ってきても、鍵盤をたたきつづけていた。 ずっと昔、山下トリオの最も初期の、早稲田大学での演奏を、私は仲間とレコードにして出版したことがある。「ダンシング古事記」というレコードである。かれこれ35年も山下さんとは付き合っている。 この1ヵ月前、新幹線で山下さんと会った。新大阪から乗った私は、追われて、ペンを原稿用紙に走らせていた。京都で隣の席に乗ってきた男がいたが、身体を斜めにして横を向いている。どう見ても山下さんなので、私は「山下さん!」と声をかけた。山下さんは焦っていう。 「なんだ、ワッペイさんか。新幹線で万年筆で原稿を書いているなんて、きっと依怙地(いこじ)なやっに違いないから、からまれると面倒だと思って、向こうを向いてたんだよ」 結局その時は二人でワインを飲みはじめてしまい、原稿は書かなかった。山下さんはパソコンの使い方を私に教えようとした。筒井康隆さんや椎名誠さんをパソコン党にしたとのことだが、私には無益であった。
絵:山中桃子
BIOS Vol.51 06.02.20 |
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