冬の知床の山小屋
 2005年の年の瀬もおしせまった12月28日(水)の夕方5時から2時間、知床の私の出小屋からテレビの生中継放送がなされることになった。NHKの北海道内向けの放送である。その日の昼頃に私は羽田空港から女満別空港に飛び、翌朝に帰ってくる。
 何もかもを呑んでよく知っている知床の友人達がすべてを取り仕切ってくれるから、私はこの身一つを運んでいけばよい。また山小屋の中からの放送であるから、たとえ吹雪になったとしても、私は寒い思いはしない。大変なのは、外にいて山小屋の外観を撮らなければならないカメラマンである。
 12月の知床は、流氷がきているわけでもなく、ただ寒いばかりである。山はすっかり雪におおわれ、見るべきものもない。
 つまり観光客の姿はまったく見られなくなるのが通常のことであるが、ユネスコ自然遺産に知床が登録された今年は、まったく事情が違った。飛行機はほとんど席が埋まっていたのである。今年は知床にいくのに、飛行機の席の確保が大仕事になりそうだ。
 女満州別空港にはいつもの友人が迎えにきてくれていた。ただ白一色の雪の野に走り出す。斜里の街を抜けて少しいくと、オホーツク海と併走するような具合になる。海は寒そうだが凍っているわけではなく、空の青い色を写している。
 いつもは静かな山小屋のまわりは、中継車や発電車が停まっていて、多勢が走りまわり、活気に満ちていた。ベランダでは、チャンチャン焼きがなされていた.鉄板に鮭を丸ごと置き、野菜とまぜて焼く。鮭をとった漁師も、ジャガイモや玉ネギをつくった農家も、この場にきていた。
 声かければ、山海の食材を持って人が集まってくるのは、いつものことである。マグカップで雪をしゃくり、そこにウィスキーや焼酎をいれて飲むのがいつもの知床でのやり方だが、この日に限り、酒はしばらくお預けになったのである。
絵:山中桃子
BIOS Vol.50 06.01.20