猫は家につく | |||
暮らしの中に、猫も犬もいる。どれも拾ったかもらったかしたもので、私とすれば猫や犬がつぎからつぎと家を出たりはいったりしている感じである。どれもが私のところを通り過ぎていき、それっきり帰ってこない。出ていったきりどこにいったのか姿をくらましてしまうものがあり、また死んでしまうものがいる。 最近死んだのはブーである。この猫はもともと近所の雄の野良猫で、放っておくと子供をたくさん産ませる。そこで妻が捕えて籠にいれ、近所の犬猫病院で去勢手術をしてもらった。もちろん野良猫だから簡単にはつかまらず、妻は手を血だらけにして籠にいれた。その情熱に、私は感心したものである。 手術が終って放すと、ブーは元の野良猫暮らしに戻った。だが妻が餌をやるようになったので、格段に待遇はよくなつた。ブーという名前ももらった。鼻が悪いのかいつもふがふがと音を立てているので、ブーという名前を与えられたのである。 野良の暮らしがあまりに長かったためか、ブーは家の中にははいってこようとせず、他の猫のようには家猫にはならなかった。人に手なずけられるのを、いさぎよしとしなかったのである。私の家にはたえず三匹から五匹のいろんな性格の猫がいる。 私たちの家族は私の故郷の宇都宮に十数年間暮らし、今でも宇都宮に置いてある家に時々帰る。その時に四匹飼っている猫を、車で連れていくことにした。東京の家に残していっても、餌をやるものがいないからだ。 「猫は家につき、犬は人につく」 よくいわれることである。猫にとっては、決まった家にいることのほうが幸せである。それはわかっているのだが、仕方がない。宇都宮には四匹を二個のケージにいれ、車でいった。 先の家に着いてケージの蓋を開くと、ここがどこかわからないのに、四匹の猫はいっせいに思い思いの方向に走る。 そこは郊外の一戸建てがならぶ住宅団地で、家と家の間に檜葉の生垣がある。その生垣の根元をくぐつて隣りの家にいくと、もうどこにいるのかわからないのだった。 いつもの猫用食事の皿を持っていき、餌をいれて庭に置いておくと、一匹また一匹と帰ってくる。ところがブーの姿は見えない。野良の本性を失わず、自由な暮らしに戻ろうとしたのかもしれない。 三日後、もう帰るという日の朝、ようやくブーは姿を見せた。その間妻も私もやきもきし、ブーをここに残していかねばならないかと覚悟を決めたほどだ。 東京の家の中には、そのブーが一番いるようになった。妻のそばにいつもくっついていたのである。他の猫は外にいることが多く、腹が空いたら餌を食べに家に帰ってくるというふうだった。そのブーも老いてまったく外にはでなくなり、とうとう妻の膝の上で死んだ。本当は居間のダンボール箱の中で死んだのだが、妻は死の時刻を正確に予測し、そのとおりになったのだから、私には妻の膝の上で死んだと感じられるのだ。猫は家につくというとおり、外に出ることの多い私は、妻ほどには猫と親密な関係になることはできない。 ブーは庭に埋めた。小さな庭で、猫はもちろん、犬も、ネズミも、スズメも、いろんな生きものが埋められている。道路で轢死(れきし)したよその猫も、拾ってきて埋めた。土にスコップをいれると骨がでてきそうで、やたらのところを掘るわけにはいかない。それでもブーを埋める穴を掘った時には、中から何もでてこなかった。犬の先代のポチを埋めた時には、その上に椿を植えた。他のものは目印も何もない。 現在、我が家にいるのは、犬のポチと、猫のナナとチムとクマである。
「一枚の繪」2006年2月号
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