西安の餃子
 雑誌に原稿を書くための取材で、中国の西安にいった。西安は何度もいっているのだ。
 現代の西安城は明代の城壁に囲まれている。高さ12メートル、底辺の幅15メートルから18メートルの煉瓦の壁の周囲は、約14キロである。
 しかし、唐の時代に長安と呼ばれた頃には、現代の8倍から10倍あったという。空海がいった頃の長安は、今の西安の郊外のずっとはずれまで城壁に囲まれていたのである。
 安定門と呼ばれる西門の上に登り、ガイドの高さんは「西の方を眺めながらいう。
 「ここから見てください。この先にローマが見えます。1万3千キロ先ですけど」
 もちろん冗談である。敦煌まで1千800キロ、カシュガルまで4千キロである。
 現代の城壁を残した明の時代は、西域は戦乱が起こつてシルクロードは分断され、交易路は海のシルクロードが用いられた。おかげで陶磁器がヨーロッパ社会に運ばれたのである。交易や旅行は、平和でなければおこなえない。
 さて、西安の名物といえば餃子である。そもそもが餃子は北京あたりの北方の料理であるが、西安も小麦を使う麺の文化地帯で、小麦の皮で肉や野菜を包む餃子が素直に受け人れられ、唐代にはすでに食べていたという。たかが餃子だが、歴史は古い。
 夜、70年つづいている老舗に餃子を食べにいった。1階は庶民のための餃子だけを出し、2階は半月に一度完全にメニューの変わる精巧な餃子をだす。白鳥、金魚、蛙、あひる、兎、亀、蝉などの形をした餃子が次々とでてきて、食べるのが惜しいほどであった。1階2階で千人はいる店内は満員である。店全体がわんわんと鳴っている。
 正直いえば、庶民が食べるという水餃子が、にんにくとねぎの味がして美味であった。餃子はあまり凝ってもいけない。ちなみに中国では、日本のような焼餃子はつくらない。
絵:山中桃子
BIOS Vol.48 05.11.20