金沢のくらがり作者・松田章一さんのこと
 松田章一作「島清、世に敗れたり」の台本を読み、文学史上でしか知らない島田清次郎の名を久しぶりに聞いた。松田さんもおもしろいところに目をつけたなと思い、金沢という上地の風土の深さを改めて知るのである。
 島田清次郎は「地上」という大ベストセラーを大正デモクラシー華やかなりし時代に書き、精神異常をきたして若くして死んだというぐらいしか私は知らない。台本を読んでから「新潮日本文学辞典」を引いてみると、島田清次郎は早くから父を失い家は没落し、祖父や叔父を頼って金沢商業に通ったが、停学となりて放浪生活にはいったとある。どうも早熟で、自分は天才であったとの思い込みがあったようである。その意味ではおもしろい人物であるといえる。おもしろいとは、文学の素材になるということである。島田清次郎の「地上」を今きら読む気にもならないので、「新潮日本文学辞典」より.一部引用する。
 「不幸な境遇に育った主人公が、実業家の庇護の下に、社会の矛盾と恋愛の不条理にめざめていく過程を描いたもので、文壇外の一般読書界に異常な反響を呼んだ。つづいて第二部、第二部、第四部(未完)を刊行したが、これらはすべて作者の精神史を拡大発展させたもので、繰返しが多いそのため、作者は文壇的には凋落していった……」
 これだけでも物語が生まれてくる。そして、いつの世にでもいる成功者気取りの倣慢な刹那の時代の寵児を描くのに、松田章一さんの筆はまことに冷哲に進んでいく。こんな人物は、自分白身を客観的に見詰めていないので、横から眺めると批評的に実に含みが多いものである。上演された芝居を観る段階ではまだないのだが、おもしろい戯曲を読ませてもらった。
 さて、本稿の依頼は、松田章一さんという人物について書いてくれということである。もちろん松田章一さんは島田清次郎のような自己客観化の足らない人物というわけでは絶対になくて、まことに冷静で温厚な人だ。私は松田さんが金沢市内の高校の教頭先生の時代に会い、どうしても謹厳な印象が強い。
 一つだけエピソードを語るが、そのことを思い出すたび、金沢の風土の底の知れなさを私は感じるのである。島田清次郎は若くて貧しい時代に母親と金沢の遊郭に間借りしていたというのだが、そんなところからベストセラー作家が生まれるのもまた、金沢の風土ということであろう。
 いつか松田さんから連絡があり、同僚の教頭先生が亡くなり書斎を整押していたら、ポルノグラフィー本のコレクションがでてきた、すさまじい量なのでどうにもならず、私に引き取ってもらえないかというのだ。その理由が、私が作家だからということである。ほとんどそれだけの埋由といってよい。家に置いておくわけにもいかないし、図書館に寄贈することもできず、日毎夜毎昏い夢を孤独に紡いでいる小説家なら役に立つだろうということであった。
 しかるべく代価を遺族に払って、私はそのコレクションを引き取った。いつかこれを素材に小説でもかければそれはそれでいいという気持ちだが、書けないかもしれない。段ボール箱幾つかで送られてきたコレクションは、書庫にとりあえず積み上げてある。
 先日、雨漏りがして段ボール箱に落ちたので、妻といっしょに濡れたところをとり出して虫干しをした。箱の表面の五センチほどもかの本を出してならべ、それだけで心のおなかが一杯になってしまった。蓋を閉める時、このコレクションの来歴を簡単に書いた紙をいれておいた。後年に子孫たちが発見し、私が大いに怪しまれる可能性があるからだ。私が家ではこのコレクションを「金沢文庫」と呼んでいる。
今回の松田さんの作品を読み、私は金沢の風土とともに我が家の「金沢文庫」のことを思い出したしだいである。