わたしとおとうさん | |||
「軍で苦労、平穏求める」 私の父はただただ実直な人間である。正直で、真面目で、気がよくて、やや小心で、平凡である。つまり、日本の庶民の典型なのだ。 父は夜間大学を苦学の末に卒業して、南満州鉄道の関連会社に就職し、旧満州とは違う中国北部に勤務した。母と新婚生活をしている最中に召集を受け、関東軍の兵士になった。晩年に病気をして入院した時に、見舞いに行った私にいつも同じことを言った。 「おれはな、日本軍の兵隊だったから、こんなベッドの上や畳の上で死ぬ資格のない人間なんだ」 2年にも満たない軍隊体験で、心の底に深い傷を負っていたということが、私にはその時にわかった。ただ穏やかな生活をしたいだけの庶民を、紙切れ一枚で無理やり戦場に連れていき、残酷な体験をさせる。父が人を撃ったのかどうか私には確かめようはないにせよ、つらい体験を強いられたのである。 戦争が終わり、父は重圧から解放されて日本に帰ってきた。そうして生まれた子どもが、団塊の世代の私なのである。父は戦後の復興の動力源となるモーターの再生の仕事をやり、電気工事会社に人った。働いたらその分だけ全部自分のものになる暮らしは、きっと楽しかったろう。その頃の 貧しいが一生懸命な父や母の姿は、私には格好の小説の素材だ。戦後のこの国は、私の父や母のような、正直で働き者で平凡な名もない多くの庶民がつくり上げたのだと思う。 高校時代に私は写真部に入り、撮影や現像処理に夢中になった。大学進学にあたり、カメラマンになりたいと思った。その気持ちを打ち明けると、父は黙ってしまい、悲しそうな顔をした。大きな声を出して反対したのではない。私は父が軍隊生活に苦労し、私に戦後の夢を託しているのがわかっていたので、自分はカメラマンにならなくてもいいから悲しそうな顔はしないでくれと言った。父は平凡で正直で冒険のない平穏な道を歩いてもらいたかったのである。私は結果的に平穏とはいえない人生の冒険に満ちた小説家の道を歩いてしまった。その父はもうこの世にいない。
日刊ゲンダイ 平成17年6月16日
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