福建省にゆく
 中国にいく予定になっていた。朝日週間百科「司馬遼太郎街道をゆく、の道」(びんのみち)の取材のためである。ちょうど中国では反日デモが吹き荒れている最中で、私は中国人の文学者の友人が多く、中国そのものとも友人だと思っているので、心にこたえていた。そんな時に中国にいかねばならないのは嫌だなあと、心が臆するところがあった。
 しかし、約束なのだから、そんな私の微妙な気持ちなど関係なく、いかなければならない。私のまわりのテレビや雑誌などは、中国取材は中止になっていたのにである。
 (びん)とは、福建のことである。福建省の泉州はかつてザイトゥーンと呼ばれ、中世の頃には世界長大の都で、アラブ世界から貿易船がひんばんにやってきた。マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも記録され、ヨーロッパ世界にもよく知られていた。景徳錬
の磁器などが遠くヨーロッパにまで運ばれる積み出し港で、海のシルクロードの玄関口とも呼ばれている。今は当時の港は土砂で埋まってしまい、干潟の中から数十年前に宋代の沈潜が発見され、そのまま保管されている。私にとっては二度目の泉州であった。
 飛行機の都合で、私は一人で成田から広州にいき、空港で8時間待たねばならない。私は空港で有料のVIPルームを見つけ、そこで原稿を書いていた。飛行機が遅れて、泉州に着いたのは深夜の11時頃だった。それから先乗りしていたクルーと合流し、レストランを見つけて遅い夕食をとったのだが、街は落ち着いていて、騒然とした気配はまったくない。
 翌々日には廈門(アモイ)にいき、各地で名所旧跡をたっぷり見た。廈門は私にとっては三度目の土地である。反日デモがあれだけ暴れたのだから、旅に困難があるかとも思っていたのだが、多くの人はデモがあったことさえ知らない。友好的であった。テレビや新開の報道とのギャップに、当惑した日々であった。
絵:山中桃子
BIOS Vol.4105.05.20