結婚記念日を忘れた
 何月何日と、私にはほとんどこだわりはない。よくいえば執着がなく、悪くいえばずぼらである。一週間のうち今日が何曜日かなどということも、わからなくなっている。そのために、最近不信感を持たれたことがある。
「結婚記念日は何月何日か」
 いきなり妻に問われ、咄嗟のことに私は答えられなかった。
「ええと、四月だと思うんだけど、三月だったっけ」
 この瞬間に不信感は最高潮に達したのである。
「ああそうなんだ。私と結婚した日なんてどうでもいいんだ」
 他のことで不機嫌になっていたこともあり、妻はますます不機嫌にいう。私との結婚の本質の問題にまで話はいってしまいそうであった。私はあわてて取りつくろう。
「結婚がどうでもいいとかじゃなくて、何月何日に結婚したかなんてどうでもいいことじゃないか」
 しどろもどろになっていう私に、妻は白らけた表情で追い討ちをかける。
「ああそうなんだ。どうでもいいんだ」
 私は謝りに謝り、結婚記念日はいつかという問題の解答を二度もはずして、ようやく教えてもらった。それは四月二十五日である。日付は忘れたが、もちろん結婚式当日のことはよく覚えている。
 まわりに反対されていわば駆け落ち結婚をした私たちは、私の文学の師の有馬頼義先生の仲人でなんとなくおさまったのである。九州の久留米藩主の家柄の有馬家の江戸屋敷にあった水天宮は、日本橋のたいそう繁昌しているお宮である。そこでならいつでも結婚式を挙げることができると、我が師はいってくれたのである。
 なるべく早く結婚式という形式をすませたいと思った私たちは、日本橋水天宮にいって行事の予定表を見せてもらった。そもそも結婚式はめったにやらない水天宮は、いつでもよいという感じであった。中でもことに暇そうな日がある。それは仏滅の日であった。神社での結婚式なのだから、仏滅は関係ないだろうと思い、なるべく神社に迷惑がかからないようにその日を選んだ。
 妻と私にとっては、四月二十五日は結婚記念日として大切な日である。私とすればただ日付を忘れたに過ぎず、その本質の大切さを忘れたわけではない。だが今年の四月二十五日は、忘れた償いをなんとかしなければならないであろう。
「Cleri Life」クレリライフ 春号/Vol.13
発行/兵庫県葬祭事業協同組合連合会