漁師料理の最高位
 漁師料理という世界がある。漁をすませた漁師がほっと一息つき、船上で食べる料理である。料亭ではなく、あくまで船上で食するというのが、漁師の特権だ。
 私にもいくつかの漁師料理の体験がある。冬の北海道の羅臼沖では、出入りする流氷の間を縫ってスケソウダラ漁がおこなわれる。氷の海から刺し網にささって上がってきたスケソウダラをぶつ切りにして、味噌汁にいれる。また冬の北海道の釧路沖ではシシャモ漁がおこなわれ、外道にハタハタがとれる。熱い味噌汁にハタハタを丸ごといれたハタハタ汁を、ふうふう息をかけながら食べる。身体が芯から温まる。華美などということからほど遠く、外見もよいとはいえないのだが、実質的な料理だ。
「何がうまいったって、船の上で食べるカジカ汁よりうまいものはないべさ」
 知床の字登呂の漁師から必ず聞く言葉である。カジカは踏み潰されたような醜い外見をしている。これを頭までぶつ切りにし、味噌汁にする。ふうふうと息をかけながら、身をすすり、骨をはき出す。格好などはかまっていられないのである。
 アンコウ鍋は漁師料理の最高位に数えられる絶品とされている。北茨城の平潟の底引き網漁師たちは、網にはいったアンコウをぶつ切りにし、大根をいれ、アンコウに含まれている水だけで炊く。調味料は味噌だけである。これが世にいうアンコウ鍋だ。形もわからないほどぐちゃぐちゃに煮られるから、ドブ汁ともいわれる。誰のためにでもなく、本来寒風にさらされて働いた仲間と自分のためだけにつくる料理である。
 船に乗るのは無理でも、平潟にいけばドプ汁は食べられる。ドプ汁を味わいたいと思うと、上野発の常磐線の電車は遅いとさえ感じられた。

ドプ汁の名脇役大根
 大根は全国どこでもつくられ、冬野菜の中でも最も手にいれやすいものだろう。冬の大根はうまい。そもそも大根は偉いのである。どんな料理にも用いられながら相手の望むようにあわせ、それでいて絶対に自分の存在を失うことはない。何物にもとらわれず自由なこんな生き方を融通無碍(ゆうずうむげ)というのである。
 JA茨城ひたちの五浦支店は、野菜づくりのさかんなところだ。日曜日の早朝五時には直販店が開かれ、大根をはじめ、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツ、ニンジン、サトイモなどがならべられる。県境を越えた隣のいわき市などから人が集まり、三十分前からならんで、店が開かれる午前五時には盲五十人ぐらいは客がいる。午前八時半になると売るものがなくなってしまうので、店仕舞いをする。
 直販部会部長の小林昌一〈73歳)さんが高台にある自分の畑に軽自動車で連れていってくれた。基盤整備のすんだ三ヘクタールの畑で、野菜がつくられていた。大根畑の横に立って、小林昌一さんは話してくれた。
「このへんは一時はカボチャ団地といわれたんですよ。トンネルかけしなくちゃならなくて、それがつらくてね。みんな年取って、現在野菜つくってる人で、七十歳が若いんだから。後継者はいるんだけど、参加しねえんだよ。勤めはじめると、そっちが主体になっちゃうんだよ」
 カボチャ部会は最盛期は三十六人いたが、今は十六人である。収穫すべきカボチャは重いから、年寄りにはつらい作業となる。トンネル栽培がつらいというのは、風が吹くとビニールが飛ばされて、しよつちゅう修理しなければならないからだ。最近では幅の広いビニールができて、昔ほど管理が大変ではなくなったということである。
 小林さんの家に呼ばれ、お茶をいただいた。茶うけのキュウリとナスの漬け物がうまい。口では大変だ大変だというわりに、なんだかみんな楽しそうなのである。どんな時代になろうと、土を耕して生きてきたという自信があるからだろう。

アンコウは腹で見る
 平潟漁港のセリは十二時からである。それまでに底引き網漁船がどんどん帰ってくる。夜中の二時に出漁し、翌日の年前十一時には戻る。漁協前の市場にはたくさんの魚がならべられるのであった。アジ、イカ、アナゴ、カレイ、ヤナギガレイ、ナマコ、ノドグロ(アカムツ)の中で、やはり一番目立つのはアンコウである。
「西のフグ、東のアンコウ」
 食材として最高の地位が与えられているアンコウは、コンクリートの上にならべられると、グロテスクでだらしのない姿である。内臓も皮も軟骨も美味で、ことにアン肝は世界三大珍味といわれるフォアグラをしのぐとさえ讃えられる面影はない。
 魚体は全体に踏みつぶされたように平たい。口は異様に大きく、腹も白くふくらんでいて、尾は細い。頭のてっべんに背びれの変形した誘因突起があり、これをぴらぴら振って小魚をおぴき寄せ、大きな口で丸呑みする。腹の中には、食べた魚が消化しかかってはいっている。大きなアンコウの腹に、丸呑みされたカモメがはいっていたことがあったそうだ。腹がよく見えるようにアンコウが裏返しにならべられるのは、すべらないためと、腹で全体の様子を見るためである。アンコウは不思議なことに雄はせいぜい十キロまでで、それ以上は全部雌だ。

七つ道具の深い食感
 その日水揚げされた最大級の二十四・五キロのアンコウをセリ落とした篠原裕治さんについていった。篠原さんはアンコウのドプ汁を食ペさせてくれる民宿「やまに郷作」の御主人である。店の前で丸太三本で三脚に組み、買ってきたばかりのアンコウを吊るす。まず包丁でひれを切って落とす。口のまわりに筋目をいれ、一気に皮を剥ぐ。腹を裂くと胃の中からタコとカレイとアナゴがでてきた。料理に使わないのは、腸と口だけである。柳とは身のことで、透明で美しいのだが、美味なのは七つ道具といわれる皮、トモ(尾)、エラ、柳肉(頬)、ぬの(卵巣)、小袋(胃)、肝(肝臓)である。
 トモズ〈共酢)は、身、皮、胃、エラをゆがき、肝のはいった酢味噌につけて食べる。さっぱりとして、前菜という感じだ。御存知アン肝は、アルミホイルで型つけをして蒸し上げ、紅葉おろしで食べる。まったりとしてはいるが案外淡泊で、食感を楽しむものである。鮮度が勝負だ。強い酒をちぴりちぴりと飲みながら肴にすれば最高である。
 ドプ汁は大根とネギと味噌とアンコウしか使っていないのに、森羅万象(しんらばんしょう)のすべてがあるといいたいほどに、混沌とした深い食感がある。七つ道具はそれぞれに食感も味も違うのが食べていて楽しい。それで全体に幻想的な一体感がある。食べだすと、口をきく時間も惜しくなってくる。鍋を囲み、ただひたすらに食べる。鍋の底が見えてくるまで、沈黙の中を食べつづけるのだ。夢中で食べ終わると、どこかまったく違う世界に連れていかれたような気がしたのだった。
 噂の鍋を私は心ゆくまで食した。
共同通信社 樹音 秋冬号