日光男体山に登る | |||
早朝に東京を出発し、首都高速道から東北自動車道にはいった。早朝の首都高速道ほど、気持ちのよい道はない。そう感じるのは、もちろん昼間の渋滞のひどさを知っているからである。 駒形あたりで、左後方に少し振り向く形になるのだが、浅草寺の五重塔の向こうに富士山の姿が見えた。東京にはいってくる時には、富士山はごく自然な形でよく見えるのである。最近東京は高層ビルが建ちならぴ、眺望がきかなくなった。首都高速道は高い位置にあるので、東京見物にはもってこいである。そう考えるなら、渋滞も悪いものではないということになる。 浦和料金所も、その先の東北自動車道も、ガラガラであった。スピードを上げすぎないようにして、アクセルを踏んでいく。利根川を渡り、渡良瀬川を渡ったあたりから、斜め左前方に日光連山が見えはじめる。その主峰男体山に、これから登るのである。 いろは坂とケーブルカー 宇都宮インターから、日光自動車道にはいる。日光の山々がどんどん近くなってくる。午前八時くらいであったが、まわりにクルマはほとんど走っていない。夏が終わり、紅葉がはじまるには間があり、観光シーズンとしては中途半端である。すいている時期を狙って、私たちは日光にいく計画だった。三日間の連休がはじまる前の、金曜日であった。 日光自動車造は最後の料金所を過ぎるとそのまま流れていき、いつしかいろは坂にはいっていく。私が子供の頃、いろは坂がはじまる馬返から、中禅寺湖のほとりの中宮祠まで、ケーブルカーが走っていた。山の中を直線で登っていくケーブルカーに乗っていると、ほらがんばれと全身に力がはいって思わず床を蹴っている。 そのケーブルカーも、マイカーでいく人が増えて営業成績がふるわなくなり、廃止されてしまった。定かな記憶ではないのだが、第二いろは坂ができた頃であろうか。現在は第二いろは坂は上り専用で、第一いろは坂と呼ばれることになったそもそものいろは坂は、下り専用となっている。第一いろは坂は対面通行していたのである。紅葉の季節ともなればクルマがぎっしりと詰まり、身動きできなくなったことを覚えている。 今考えると、あのケーブルカーが残っていればよかったと思う。クルマで急いでいくばかりが、旅ではない。渋滞がいやならばケーブルカーでいろは坂を越え、その先はバスに乗ればよい。第二いろは坂ができた時点で、もう渋滞は起こらないだろうと考えたに違いないのだ。 修験道の山 私たちはがらがらの第二いろは坂を、まことに快適に越えて、中禅寺湖に至った。それから二荒山神社の駐車場にクルマをいれ、二荒山神社の鳥居をくぐつて、男体山登山をはじめた。男体山は中禅寺湖とともに、二荒山神社の御神体なのである。 奥日光の一帯は観世音菩薩がお住みになっている観音浄土、補陀落(ふだらく)浄土である。この補陀落が二荒(ふたら)になり、これを音読みにして日光と呼ばれるようになった。 男体山は修験道の道場である。今日のようにスポーツ登山とは山登りの意味が違うから、楽をして登っていこうという発想はない。道は頂上めがけてまっすぐにつづく。長い間たくさんの人が登ってきたから土は流れて岩がむきだしになり、険しい道となっている。頂上まで休まず登って三時間半、往復で多少の休息をいれて七時間から八時間のコースだ。下から見上げるとなだらかな峰なのだが、登ってみると案外に厳しい。 定宿にしている奥日光湯元温泉の湯の湖荘に着いた時には、暗くなっていた。湯元温泉は活発に湧く源泉があるので、湯は熱く、よほど水を埋めなければはいることができない。湯に身体を沈めてほっとした。 まわりの山で採れたキノコや山菜をたっぶりとだしてくれ、中禅寺湖のヒメマスを食した。陸封された紅サケであるヒメマスは、サケマス科の魚の中では最も美味である。したたかに飲み、もう一度温泉にはいってから眠った。 中禅寺湖千手ケ浜 前日も天気はよかったのだが、その日も晴れ渡った。秋晴れの見事な日であった。私は千手ケ浜とその森が好きで、奥日光にいくと機会があるかぎり足を伸ばす。千手ケ浜までの道は、戦場ケ原を突っきる国道120号線から先は、クルマの侵入は禁止である。県営のハイブリッドバスに乗り換える。もちろん自然保護のためだ。 その日、中禅寺湖は青く澄み切っていた。湖水の向こうに、昨日登った男体山がくっきりと立っている。汚れたものは何もない。男体山にはじめて登頂し、日光山に修験道を開いた奈良時代末期の勝道上人は、この千手ケ浜で巨大な千手観音が示顕するのを見たとの伝承がある。ここから眺める中禅寺湖と男体山の風景は、まさに観音浄土というにふさわしい。 振り返って見た千手の森は、近頃増えすぎたシカの食害にあい、木がずいぶん枯れている。下草もまるで散髪したかのようにほとんど生えていない。たまに黄色い花が咲いているのだが、毒の草である。シカは食べられない草だけを残し、あとはすべて食べてしまったのである。 千手ケ浜で時間を使いすぎ、中禅寺湖におりると渋滞であった。連休の初日にあたり、いつの間にかクルマが上がってきたのである。のろのろとしか進まないクルマの列に苛立ってみても仕方ないので、流れのままにいくしかない。中禅寺温泉の市街地のあたりなど、ぴたりと止まって動かなくなった。 華厳の滝にはいるクルマが多いのであった。そこを過ぎて第二いろは坂の入り口のあたりにくると、クルマは流れだした。第一いろは坂のはじめから、コーナーの一つひとつにいろはの文字の看板が立っている。「おくやまけふこえて」の「お」と、看板の文字が見えるたぴにバスの車内で唱和した小学生の自分を、私は思い出したりしたのだった。 あの頃だって、このあたりはしょっ中渋滞していた。
カーイオ2004年1月号
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