月華繚乱の宴 | |||
芭蕉が敬愛していた道元の著作『正法眼蔵』に「都機」の巻がある。そこにこのような言葉がある。 「光は万象(ばんしょう)を呑(の)む」 光とは月光である。天から降る月光はあれこれと区別することもなく、地上のすべての現象を照らしている。この月こそ仏だというのである。水に映った月は、水に応じて形を現わす。水が濁っていれば月も濁り、水にさざ波が立てば月は歪む。水が澄んでいれば、月もさえざえと澄む。その水とは、私たちの心のこどである。私たちは心の水を澄ませなければならない。 月光は露(あら)わであり、その月光がすべての現象を照らしているということは、この世に起こるすべてのことは何も隠されていないということである。何もかもがそこに露わにされているのに、それが見えないのは、私たちの心にとらわれがあるからだ。そのとらわれがまったくなくなることを身心脱落という。芭蕉の俳句も、身と心を放ち捨てたあげくに見えてくる自然の実相(じっそう)を、言菜でとらえているといってよい。その実相を見るのに、芭蕉にとって月は重要な入口であり道具であった。秋になれば今年の月をどのように吟(ぎん)じようかと思い、芭蕉はじっとしていられなくなる。 「さらしなの里、おばすて山の月見の事、しきりにす、むる秋風の心に吹さはぎて、ともに風雲の情をくるはすもの又ひとり・・・・」 更科の里や姨捨山(おばすてやま)の月を見たいと思うと、しきりに秋風が心に吹き騒いで、自然の情景に接したいと気持ちをかきたて風狂へと誘われるものがまたここに、人、というような意味である。 こうして芭蕉は『更科紀行』の旅にでるのだ。美濃の岐阜から中仙道を通り、松本平と善光寺平とを結ぶ善光寺道をゆく。善光寺道の最大の難所は猿ケ馬場峠であり、そこを目前とした麻績宿は、奈良時代に高句麗からの渡来人が住みつき麻糸づくりをしたところとされている。 麻績郷にはいれば、優美な姿の冠着山が見える。この山には棄老伝説があり、姨捨山と俗称される。『大和物語』と『今昔物語集』によれば、男は同居する伯母を妻にそそのかされて月の明るい晩山奥に捨ててくるのだが、悲しみのために一晩眠れず、歌をつくり、翌日家に背負って連れ帰ったという。その歌が、『古今集』にとられた詠み人知らずの次の作だとされている。 「わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山にてる月を見て」 棄老は伝説にすぎず、日本にはなかったというのが通説ではあるにせよ、年寄りを捨てなければならなかったほどに貧しかったということであろう。 姨捨山は歌枕である。歌枕の地を訪ね、昔の詩人の魂と交感するのが芭蕉の方法である。『更科紀行』で描かれるのは、姨捨山と更科の里で月を見る旅だ。 芭蕉にならって私たちが観月をしようと麻績村を訪ねれば、村おこしの事業として冠着山と対坐する位置の赤松林の中に『信濃観月苑(しなのかんげつえん)』が建てられている。当地の人の深い思いがあって建てられたのだからと、その施設の中の観月堂にいく。檜の香りも新しい堂内に坐し、真昼間の姨捨山を赤松林の幹の間に眺めた。恐ろしい名を持つ山の瑞に浮かんだ雲が、光っていた。茶室に移動してお点前をいただき、お昼のお弁当の点心を食した。 「身にしみて大根からし秋の風」 この地方で、芭蕉も食べものの句をつくつている。からみ蕎麦など好んで辛い大根を食べる土地柄であるが、関西や美濃の甘い大根しか知らない芭蕉は、大根の辛さを貧しさへの連想としたようにも私には感じられる。 田毎(たごと)の月の地に、私は一度きてみたかった。今回姨捨を訪れ、私は望みを一つ果たしたことになる。道元は仏のことを「物に応じて形を現わすこと、水中の月の如し」といっているのだが、百の水があれば百通りに姿を映す月の光景の地を、私はまだ訪ねたことがなかったのに田毎の月の情景だと空想の中で考えていたのである。しかし、一枚一枚の棚田にそれぞれの月が映るのは、春のはじめ頃、田んぽに潅水(かんすい)がなされた頃のことだ。 芭蕉が姨捨にきた八月十四日、十五日、十六日は月見を邪魔する雲もなかったようである。だが私たちが訪れたその日、姨捨山にかかった黒い雨雲がどんどん近づいてくる。雨から逃れるように長楽寺(ちょうらくじ)に逃げ込むと、住職が厚意で月見堂の雨戸を開けてくれた。このあたりで、芭蕉が「俤(おもがけ)や姨ひとりなく月の友」の名句を吟じたのである。 使い古しの箒(ほうき)で畳を掃きながら、住職が話してくれる。 「昔はここから田んぼがたくさん見えたんですよ。すぐそばにもあったし。眺めをよくするために、木はずいぶん伐ったんですけど」 雨脚はいよいよ強くなり、私たちは観月の風情からは遠ざかっていく。晴れれば、取材日の今日は上弦(じょうげん)の月である。心に浮かぷ細い月の曲線が、「心」という字にも思えてきた。そこで一句。 「心(しん)の字が空に浮かぶや雨の月 和平」 雨の月を心の中で観じたことににする。 雨脚が弱まるのを待って私たちは雨戸を閉め、長薬寺を辞す。足元はすでに暗い。私たちはただ雨宿りをしたと同じことであった。 戸倉上山田温泉に旅装を解いた。観月に温泉とはいい取りあわせではないか。露天風呂で光は万象を呑むの風情が感じられたら、最高だ。
オブラ(講談社)2003年10月号
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