「鎖塚街道」をゆく
 初夏の知床にいくのは毎年の慣例になっている。女満別空港から農道を走り、斜里町にいく。ジャガイモが白い花を咲かせ、小麦が麦秋の実りの色になっている。ビートはまだ若い菓が畑に整然とならんでいる。
 北海道は国道よりも広域農道がドライブするには楽しい。まるで定規で線を引いたかのようにまっすぐで、地形そのままをなぞってアップダウンする.遠くから見るとジェットコースターのコースのようで、登りきった向こう側の道路と畑とが空に触れている。つい速度がですぎるのだが、時に警察のネズミ捕りもある。
 今年は知床にはいる日を二日はど早め、北のほうヘドライブにいくことにした。知床の友人に尋ねると、網走支庁の北のはずれ、雄武(おうむ)町に日の出岬があり、そこに温泉がでて、第三セクターで新しいホテルができたのだそうだ。
「そこがいいんじゃないかい。なんなら予約をいれてやってもいいよ」
 どこかいいところはないかと電話で聞くと、知床の友はこう答えてくれた。私としても二日間そのへんをドライブできればどこでもいいので、友人にまかせることにした。持つべきは友である。どうせいくなら知らないところがいいのだ。

網走へ
 女満別空港でレンタカーを借りる。走ればよいので、車種はカローラにした。いろいろなクルマに乗れるのが、レンタカーの楽しみである。ナピをセットすると、機械の出す音声のままに走っていけばよい。そもそも幅の広い道なのだから、なんとも楽なドライブになるのである。北海道のドライブは、オーバー・スピードにさえ気をつければ、ストレスを覚えることはまったくない。
 国造39号線は北見街道である。北見と網走を結ぶ幹線道路で、網走監獄の囚人たちの強制労働によってこの地方では早いうちにつくられた。囚人や編(だま)されて連れてこられた労働者たちが押し込められた飯場を、タコ部屋という。そこは激しい暴力が支配するところで、逃亡してつかまればリンチを受け、殺された。どのくらいの人数が道路つくりのために死んだのか、実態はわかっていない。
 このあたりには、あっちこっちに鎖塚がある。囚人たちは手錠をはめられ、鎖につながれたままで労働をした。その囚人たちを何人も、鎖につないだまま埋めたのが、鎖塚である。後年になって鎖に連結された人骨が発見されたのだ。この苛酷な囚人労働による道路開削により、道東地方には開拓者がはいり込み、物質も輪送され、今日の発展につながるのである。このあたりの国道を走り、昔の苦しい労働を時折思い出すことも、必要であろう。

オホーツクライン

 網走湖に沿って走っていき、網走市内の網走刑務所のそばで国道238号線と合流し、左折する。網走番外地と呼ばれている網走刑務所で、二年前の真冬に、私は一日刑務所長をしたことがある。映画では重犯罪者が服役することになっているが、現在は懲役二、三年の軽犯罪者がはいっている。刑務所について話はいくらでもあるものの、ドライブのほうを先に進めよう。
 この国道もよく整備された立派な道である。北海道のドライブで、道が悪いなと感じたことは一度もない。オホーツク海を右側に見て走る国造238号線を、オホーツクラインという。やがて右側に水が見えてくるが、能取(のとり)湖である。これは海水と淡水が混じる汽水湖で、潮のまわりは湿地帯になっている。塩分の多い岸辺の湿地にアカザ科の一年草のサンゴ草が群生している。九月になると真赤に染まるのでこの名があるのだが、その季節にはまだ早く、縁色である。
 私は緑のサンゴ草の中に、白い点を二つ見つけた。クルマを降りて、改めてよくよく見ると、タンチョウである。釧路湿原を本拠地とするタンチョウは、番(つがい)で暮らす。番で広い縄張りを占めるのである。タンチョウの数が増えていき、とうとう能取湖まできたということである。これはよいことだ。

松寿司
 タンチョウの姿を見て思いがけず時間を潰したので、また先へとクルマを進める。そろそろ昼食の時間も過ぎようとしていた。常呂(ところ)町に至り、そういえばここにうまい寿司屋があったことを思い出した。うろ覚えの記憶をたどると、町役場の前にあったように思うのである。
 国道からはずれて市街地にはいる。役場があり、そこを通り過ぎると、松寿司の看板が見えた。そばの駐車場にクルマをいれ、妻と二人で店にはいった。昼食時をとうに過ぎていたので、店内には客の姿はなく、電気まで消されていた。奥からでてきた奥さんが私を見るなりまた奥にはいり、今度は
主人がやってきたのだった。「あれ−、北海道にきてたんかい」
 主人はこういう。知床の人にもいえるのだが、北海道にきただけで自分のところにきたという感じなのだ。カウンターにつき、寿司を思う存分に食べた。常呂は日本一のホタテの産地である。私はあっちこっちでうまいものを結果として食べるのだが、北海道東部の寿司が一番うまいように思う。ウニも海苔の帯を巻いたその上に山盛りになっている。イクラも同様である。タラバの寿司は、シヤリが潰れたような感じで底にくっついている。
 キンキ、ソイなどが、このあたりでは最も上等な寿司だ。キンキの刺身など、この地方以外ではめったに食べられない珍品である。そんなものがごく当たり前にでてくる。
「いつぱい食べていきなよ。せっかくきたんだから」
 主人は注文もしないものまでだしてくれ、その上お土産まで持たせてくれた。三種類の塩辛である。旅の途中なので、正直のところ生ものをもらっても困るのだが、厚意なので受けとらないわけにはいかない。
 クルマに戻って地図を見ると、今日の宿泊地まで、まだ四分の一ほどしか走っていないのであった。

カーイオ2003年10月号