アップダウンの道をゆく「十和田湖への道」
 東北新幹線の「はやて」に乗り、二戸で降りた。開業して半年もたたない駅はまだ真新しい。駅レンタカーを借りて、田子に向かう。十和田湖の東南に位置する田子は、特に観光地というわけでもないし、ふだんみんながいくところでもないだろう。
 田子はにんにく生産日本一のところである。今回、私はある雑誌のために、にんにくの取材に行くのである。国道四号線黒羽街道を北上し、三戸で左折し、国道一〇四号線秋田か移動にはいる。交通量が少ないので、快適なドライブである。
 田子町にはいったとたん、「ニンニク日本一」の大看板が立っていた。七月になればにんにくの収穫期を迎え、あたり一帯からにんにくの臭いがたち込める。そんな季節にも、私はこのあたりを走ったことがある。窓から吹き込んでくる風に、はじめは異臭を感じてえっと思うのだが、たちまち慣れる。
 田子町農協にいき、にんにく畑に案内され、ガーリック・センターで女性部にんにく生産者のつくった料理を昼食に呼ばれ、加工所をまわった。みんなにんにくに一生懸命であった。
 取材が終わると、十和田湖に向かった。田子がすでに中山間地で、そこから先は山また山である。道路がよくて、対向車もめったにないので、ドライブとしては気持ちがよい。とばさないようにと、自分自身にいい聞かせて私はアクセルを蹴る。新緑が目に染みる。このあたりの森はブナ林が主体で、新緑の美しさは究まっている。
 迷ヶ平という、なんとも悩ましい森を過ぎる。かつて人が歩いてしか通ることができない時代、森の中に迷い込む人がたくさんでたのであろう。今は舗装道路が一本通っているだけで、迷うことはない。ただし冬は、十和田湖方面の道路は閉鎖される。
 見返峠が分水嶺である。そこから道路はつづら折りながら、一気に下っていく。森は深く、両側からブナの枝がおおいかぶさって、道路は暗い。十和田湖はカルデラ湖で、つまり火口に向かって道路は下っているのだ。
 宇樽部(うたるべ)で十和田湖の水が見えた。暗い森を抜けて水を見た瞬間、心がなごんでくるのを感じた。宇樽部は小さな集落である。十和田湖は急な斜面に囲まれているのだが、ここには田んぼが作れるほどの平地がある。
 その日の宿は休屋(やすみや)にとってあった。十和田湖の一周道路を左回りにまわる。アップダウンのある道路が、森の中をつづいている。木立の間から湖面が見えた。
瞰湖台と名づけられた展望台があり、そこで車を止めて湖を眺めた。山端に沈む夕日を狙っているのか、カメラマンが一人三脚を立てカメラをセットし、待機していた。
 十和田湖は深く清澄な湖である。カルデラとは、スペイン語で鍋ということだ。周辺が内側に急傾斜していき、底は比較的平らで、まさに鍋のような形をしている。火山作用によってできたもので、火口を区分するために直径二キロ以上のものをカルデラと呼ぶ。そこに水がたまってできた湖をカルデラ湖という。カルデラ湖は深い。日本で一番深いカルデラ湖は四二五メートルの田沢湖で二位が三六五メートルの支笏湖、三位が三二六・八メートル十和田湖である。計測して一番深いところを水深として数字にだしているのだが、十和田湖はもっと深いと主張する人もいる。
 もう十年以上も前のことになるが、テレビの仕事で十和田湖を取材した。十和田湖名物といえば、ヒメマスである。そもそも水清ければ魚棲まずの十和田湖は、魚のいない湖であった。それが明治三六年(一九〇三)年に、阿寒湖原産のヒメマスが地元の和井内貞行にとっていれられた。ヒメマスはアイヌ語でカパチェッポと呼んだ。ベニザケが海に下ることができず、内陸部にあわせて生きた陸封型である。サケ科の魚のうちで最も美味といわれるベニザケなのである、ヒメマスの身はサーモンピンクの色をしていてうまい。だからこそ十和田湖一の名物となったのであった。
 私が取材に十和田湖に入った時、ちょうど漁業協同組合で試験網をいれたとっころであった。婚姻色で身体を真赤に染めた、体長五〇センチの雄のヒメマスが網にはいり、その美しさに驚いたものである。だがそのヒメマスがめっきり減っていた。周辺の旅館から雑排水などがはいり、十和田湖の水が汚れたのが原因で、ワカサギが異常発生したのである。ヒメマスとワカサギの餌が同じで、繁殖力の旺盛なワカサギに、ヒメマスが押されていったのである。存在すらが危うくなってしまったのであった。
 あの取材の翌年から数年間、十和田湖の漁協はヒメマスの禁漁に踏み切った。遊漁船もいれなかった。漁師にとっては職場がなくなったと同じことで、その間何かをして食いつながなければならない。どのみち、死活の問題であったのだ。
 表面から見れば十和田湖の美しさは変わらないのであるが、ヒメマスもワカサギも十和田湖を大海として生きているのだが、産卵はまわりの川を溯ってする。孵化して稚魚になると、川を下って十和田湖で育つ。産卵するために溯上するワカサギが、小さな川を真黒に染めていた。これでは、ヒメマスが生きる隙間もないと思われた。
風の便りよれば、ヒメマスは回復したということである。浄化施設を整備して雑排水を十和田湖に流さず、湖水を清澄に保つことにつとめなければならない。なにしろ十和田湖から流れ出る川は奥入瀬渓流一本しかなく、この深いカルデラ湖の水が完全に入れ替わるには、どれだけの歳月がかかるかわからない。一度自然のものを汚すと、それを回復させるためには、その何倍何十倍の労力がかかるのだ、
 そんなことを考えながら、休屋の湖畔のホテルに旅装を解いた。さっそく湖畔の散策をする。あまりにも有名な湖畔の乙女像のところまで行く道は、建物の床のようにがっちりと板でつくらていた。こんなところまで整備されている。車椅子でも通れるようにと配慮したということらしいが、こんなにまでつくらなければいけないのであろうか。車椅子のためなら、もっと細い道で充分である。砂の上を歩く喜びが失われてしまった。
 その夜、宿の善にヒメマスの塩焼きがでた。形は小さかったが、間違いなく十和田湖のヒメマスである。こうして旅人の食膳にも上がるまで回復したかと、私は嬉しかった。宿の人によれば、ヒメマスは入荷したりしなかったりするそうだ。私は運がよかったということである。

(株)芸文社「The CAR in Out」九月号