2002年7月

雪の上の富士山

 富士山を空の上から眺めてみませんか。山梨のテレピ局の人から誘われ、心が動いた。富土山は天上から見る山ではないかもしれないのだが、実は私は何度も見たことがある。東京の羽田空港から飛び立って西に向かう飛行機が、時々富士山の真上を過ぎていくことがあるのだ。上かう見ると富土山山頂は火口が陥没し、いかにも火山らしい景観をつくっている。ごつごつして、男らしい印象である。
 旅客機の定期便で真上を通り過ぎるというのではなく、テレビ局の誘いは、富士山頂と周辺を飛び回るというのである。もちろん番組をつくるためで、その瞬間に思ったことを、私は上空から話せばよい。
 その朝、私は新宿駅にいき、中央線の電車に乗った。だが空は曇っていて、ヘリコプターが飛べないかもしれないし、たとえ飛べても富士山は見えないかもしれない。富土山をめぐる旅は、いつも気をもたせられることになるのである。
 甲府駅に持っていたスタッフの車に乗り.笛吹川の河川敷につくられたヘリポートにいった。すでに静岡のほうからヘリコプターがまわってきていた。
 「富士山が見えるかどうかわかりませんけど、とりあえず飛んでみましょう」
 パイロットとすれば、こういうより仕方がないのである。重士山のまわりの空気は安定せず、風が吹いていることか多い。雲が寄ってきては、また去っていく。ということは雲っていても、晴れる可能性も充分にあるということだ。
 これは因果律に似ている。諸行無常で、因と縁とがたえず移ろっているならば、良いこともつづかないかわりに、悪いことがあったとしても、そのことでいつまでち苦しまなければならないということはないのである。そう思い、希望を持って出発した。
 甲府盆地から、たちまち山の中にはいる。雲が部厚く覆っていて、富士山のある方向はただ茫々と白い。シートベルトでこの身を座席にしばりつけられた私は、浮遊感覚を味わっていた。空を飛ぶことは、重力の法則に反することはなはだしく、正直あまり気持ちのよいことではない。透明プラスチックの球体の中にいて、上下左右や前方後方が見えるヘリコプターは、なおさらである。
 パイロットがー気に高度を上げると、白くてふわふわの雲のその上に、富士山の八合目より上のあたりが突き出していた。雲の上には雲はなく、晴れていたのだ。
 不意打ちをくらったような気分で、期待していなかった分だけ私は感動してしまった。雲より高いなんて、なんという山であろうか。雲より高いともちろん頭ではわかっているのだが、すく目近で見ると、なんと美しい山であろう。ヘリコプターは富土山に近づいていき、山頂のまわりを何度かめくった。日本一の山をいつまでも見ていたかったか、そうもいかなかった。
「知恩」7月号
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