2002月6月
おいしい富士山
海抜三,七七六メートルの富士山は、水をつくる巨大な装置である。富士山そのものが水瓶であるといってよい。この水瓶に、たくさんの人の暮らしが支えられているのだ。
富士山の北麓に富士吉田市がある。富士山を御神体とする浅間神社があるところだ。この富士吉田市の隠れた名物が、うどんなのである。街を歩いていると、うどん屋の看板がよく目につく。
白須うどん店という店があると、友人に聞いていた。地図のとうりにきたのだが、看板らしきものは見えない。空地に車を止め、歩いて探すことにした。道の端に川が流れていた。川というよりは、U字溝を流れるドブといってよいところなのだが、流れている水は、清冽で豊富である。水が惜しげもなく捨てられているといった感じだ。
普通の二階家で、玄関前に車がたくさん停まっているところがあった。一般の家庭ではこんなに車があるはずもなく、ちょうど昼時の食べもの屋の風情である。玄関のほうにまわると、部屋の仕切りの襖がはずしてあり、長テーブルが置かれ、人がたくさんいてうどんを食べていた。
玄関に靴を脱ぎ、中にはいる。店というよりは完全な民家である。壁にはカレンダーや子供の習字などが貼ってあり、奥には仏壇がある。広い部屋にテーブルがだしてあったが、私は厨房に向かい合うカウンターの席についた。
うどん屋として営業中はこうして人がたくさんくるのだろうが、営業が終わるとテーブルや箸置きを片付け、襖をいれて、普通の生活に戻るのだろう。そういえば二階があって、学校から帰ってきた子供などは二階にいるのかもしれない。
丸見えの厨房では、主人がうどんを切り、奥さんがそのうどんをゆでている。ここは二十年以上つづく、富士吉田らしいうどん店だと聞いてきたのである。中でうどんを盛りつけている奥さんに、私は声をかけてみる。
「中に入ると確かにうどん屋さんなんだけど、看板ださないんですか」
「お金ないから、看板つくれないの」
これが中から返ってきた答えである。注文したいのだがメニューらしきものはない。書きつけたものが壁に貼ってあるわけではない。そのことを私が尋ねると、返ってきた答えはこうだ。
「あったかいのと、冷たいのと、大と小とですよ」
「それじゃ、あったかくて大」
私が注文すると、三十秒もたたないうちにうどんがでてきた。客がどんどんはいってくるので、どんどんつくっているのだ。客が厨房の棚にとりにくるのである。
丼の中のうどんの上に、ゆでたキャベツが山盛りに乗っている。タレは醤油味である。いわばそれだけなのだが、うどんは太くて、無骨といったほうがよいほど太さがまちまちである。
食べるとコシがある。歯に触れたとたんに千切れるような軟弱なものではない。実質的なうどんなのだ。しかも、盛りがよいから食べても食べても減らない。途中、辛子味噌をいれて味をつけた。
四角形の包丁でうどんを切っている主人に、うまいですねと声をかける。主人は手を休め、私が問いたいことに考えをまわして、答えてくれた。
「富士山の水で打っているから、それはうまいですよ。昔からこのあたりでは米がとれないから、どうしても麺を食べてきたんですよ。富士山の水のおかげで、麺文化ができたんです」
聞くところによると、この地方は、養蚕がさかんで、それにともない紡績と織物が主たる産業であった。休む間もなく働くため、簡単につくれて食べられるうどんが主食になってきた。しかも、なかなか腹が減らないように、コシを強くしたというのだ。
富士山の水の恵みといえば、豆腐も忘れてはならない。忍野八海のある忍野村にある角屋豆腐店の工場にはいった瞬間、大豆の芳しい香りが漂ってきた。ちょうど木綿豆腐ができて、切られ、水の中に放されたところであった。水の中を泳ぎだして底に沈む豆腐は、まるで生きているみたいだ。豆腐は水の中にいたほうがいい。
一個買い、皿に取って、その場で食べさせてもらった。大豆の甘みがあり、菓子のような味である。
「富士山の水を飲んでいるみたいなもんですよね」
こういった私に、奥さんが答えた。
「豆腐のおいしさの秘密は、富士山の水。朝起きて、窓開けて、まず富士山に両掌を合わせて頭をさげます。豆腐は富士山を食べているようなものです。」
富士山はおいしいのである。