2002年4月

歌舞伎と花見

 歌舞伎座にかかっている拙作「道元の月」を観るのは、五回目だったか六回目だった。演(や)るたび芝居は変わってきて、役者たちはみんなどんどんよくなっている。初日はとにかくまちがえないようにするだけで精一杯なのだが、科白を身に付いてきたので余裕がでて、役者も自分の演技を楽しんでいるふうである。
 坂東三津五郎は道元に、中村橋之助は北条時頼になり切っている。その変化が、作者である私には楽しい。勉強にもなる。ある科白の次にどんな科白がくればよいのか、筋の展開はどうすればよいのか、私にはまことに参考になる。一つの芝居を見て見て見抜けば、芝居というのがわかるのである。
「ひどい芝居を書いたら、一ヶ月は地獄ですよ」
松竹の大沼さんにいわれた言葉だ。「道元の月」は大沼さんと私でつくり上げたといってよい。台本を書いたのは私だが、大沼さんのサジェッションも大きく、最終的に二人で銀座東武ホテルに合宿して台本を練上げた。
 稽古がはじまり、公演がはじまり、これから約一ヶ月は長いなと思っていたのだが、もうそろそろ千秋楽の気配が見えてきた。そうすると何だか淋しいような気分にもなってくるのである。
 大沼さんはいつもいる松竹本社から、しょっ中顔を出す。歌舞伎座の責任者の大沼さんは、客の入りにも責任を持っている。だがその件はもう心配ない。切符はとうに完売しているからである。大沼さんの心配はもっぱら芝居の出来であるように見える。
 大沼さんにしろ私にしろ席がないので、補助椅子をだして見ている。一階席の最後方にガラス張りの部屋があり、つねに客席と舞台を監視している。雪の降りが片寄っていると、直ちに電話で注意する。客席に何かあると、ただちにとんでいく。ここから舞台は遠いのだが、全体がよく見える。
「今日は三階から見てみよう」
 大沼さんはこういって監事室をでていく。私もそこで見ようかと思うのだが、やっぱり監事室からみることにする。芝居は本当に毎回違い、確実によくなっている。
 その日の上演も満足できる出来で終わり、お客さんは昼食の時間となる。大沼さんが三階席から監事室におりてくる。
「三階席でもみんな吸い込まれるように見てましたよ」
 にこにこして大沼さんは私にいう。
「席があったんですか」
私はこう問わなければ気がすまない。
「立って見てました。お昼を食べにいきましょう」
 大沼さんに誘われて、私は外にでる。土曜日なので銀座には昼休み中の勤め人はいない。何を食べようかという段になり、近くにシチューをだす有名な店があるということになる。「銀の塔」という名の店は、歌舞伎座の裏手のビルにある。
 そこでビーフとタンのミックスシチューを食べ、ビールを飲んだ。そこで次の芝居のことなどを話す。新作に必要なのは、要するに骨格である。ドラマに込める思想である。技術的なことは、練り上げ練り上げていけば、なんとかなるものだ。
「花見にいきましょうか。満開ですよ。九段にいきましょう」
今日は土曜日で、休みなのにわざわざ観劇にきた大沼さんはいう。私も四時まではとりあえずすることがないので、花見にしゃれ込もうということになった。
「青山墓地の花見もいいですよ」
私は家の近くの花見ポイントをいう。大沼さんも近所の住人である。
「そうだ。中村歌右衛門の一周忌がもうすぐなんだ。青山墓地に歌右衛門のお墓参りにいきましょう」
 さっそく相談がまとまった。タクシーを拾い皇居のお掘り沿いに走ってもらうと、土手の松が春の緑で、柳が新緑をふき、沿道に桜が咲いている。まるで歌舞伎の舞台のようである。春がきたなあと嬉しくなる。
 九段坂の靖国神社をまわってもらって、車中から花見をしようかと思ったのだが、あまりにも美しいのでタクシーを降りた。九段坂の桜は見事である。桜の下にいったら、どうしても一杯飲まないわけにはいかない。
 再びタクシーを拾って青山墓地にいく。そこもまた満開の桜だった。中村歌右衛門の墓は管理事務所の近くなので、すぐにわかった。歌右衛門の墓に桜の花びらが降りかかっていた。
戻る