「紅葉の舘岩村へ」

 福島県南会津群舘岩村の政一に、取材をかねて会いに行くことになった。私はある雑誌に毎月一度旅行記を連載していて、その時点で一番よいところにいくことにしている。
 紅葉の真っ盛りである。舘岩村ではちょうど新蕎麦もとれた頃で、星キミエさんの打つ蕎麦を食べ、湯の花温泉の湯にでもつかろうという算段だ。
 館岩に行くには、浅草から東武電車に乗り、野岩線の会津高原で降りる方法がある。もうひとつは東北新幹線の那須高原までいき、そこからレンタカーで走る方法だ。自分の足を持ちたいので、私は那須高原から行くことにした。
 平野では夏の終わりという緑の深さであるが、塩原の山にはいると突然見事な紅葉であった。塩原の紅葉を見ていくのも、ひとつの目的だった。宇都宮で生まれ育った私は、子供の頃から幾度となく塩原にきたのではあるが、ここまで本当に遠かった。曲がりくねった砂利道をバスは走っていく。細長いバスは右に左に大きく揺れて、道を踏み外し、谷に転落しそうな気がしたものだ。途中には蛙の形ををした岩などがあり、通るたびガイドさんに同じ説明を聞くのだが、そのたび感心するのである。今は拡幅された立派なアスファルト道路を何もかも振り捨てるように一気に走り過ぎてしまうのだが、蛙の岩など誰にも見られずひっそりと同じ場所にあるはずである。
 塩原は紅葉の中を通り過ぎる予定であった。だが紅葉の見事さに誘われ、散策をしようという気分になったのである。
 旧知の旅館の和泉屋の前に車を止めると、ちょうどそこにいた奥さんと目が合った。車を置かせてほしいというと、どうぞどうぞという答えが返ってくる。
 和泉屋の横に箒川に向かって降りていく階段がある。降りると、対岸の紅葉が見事であった。水というのは、紅葉でも新緑でも、桜でも合うものだ。華やかな気分になって川岸の遊歩道を歩いていく。禁漁になって釣り人の姿も消え、水の中には、マスののんびり泳ぐ姿があった。たくさんの釣り人の仕掛けの間をんぬって、この夏をよくまあ生きのびたものである。まだまだ生きろよと、声にはださずに応援したくなる。
 川岸の遊歩道を行くと、何軒か旅館があり、吊り橋がある。その吊り橋を渡ったところに露天風呂があり、湯の中に若いカップルの姿があった。自然に目がいっただけなのになんだか悪いことをしたような気になり、私たちは渡ってきた吊り橋を戻った。
 対岸にいき、何メートルかいって対岸を見ると、ちょうど女が湯から立ち上がったところであった。鮎が水から跳ね上がったかのように見えた。女は岩陰にいるのだが、私のほうからはよく見えるのであった。素早く身体を拭くと、女は下着を着けた。私は歩くのをやめたわけではなくて、そのまま先へと進んでいった。いってもいっても紅葉であった。
 館岩に向かおうと車に戻ると、和泉屋旅館から主人の田代さんがでてきて、コーヒーを飲んでいくようにという。部屋の予約はいっぱいだという。旅館にとっても、塩原はいい季節を迎えたのである。
 道路が会津西街道とつながってから、塩原は会津方面へのバイパスとして使っている。山の上では、大根や白菜やキャベツなどの高原野菜や、やまのきのこなどの店がでている。どの店の前にもたくさんの車が止まっている。交通の道筋が変わって、浮き沈みがでてきたようだ。変化の激しい世の中は、突然必要なものが生まれると同時に、突然いらないものができるのが恐ろしい。
 会津西街道の紅葉は絶頂であった。燃えるような梢から、光のシャワーがあちこちに降っている。紅葉はたえず移動している。なんと美しい季節になったことだろう。三王峠のトンネルを過ぎても、紅葉は同じに広がっている。会津田島にはいったところで、会津西街道を舘岩村檜枝岐村方向に左に折れた。
 雑誌の取材がすみ、私の常宿の民宿山楽にいく。その日の午後、役場を休んで取材に付き合ってくれた政一が、そっと私にいうのだ。
「山楽で晩飯食ったら、二次会は日吉丸でやる。みんな集まって待ってるから。それと、明日の朝八時に館岩小学校に行って、朝の読書の時間に三十分の話をしてもらう」
 政一は私の予定をもう決めているのだ。勝手に決めているのだ。ここは館岩なので、私は逆らえない。まあ政一に心を許しているということなのである。
 星キミエさんに相変わらずうまい蕎麦を打ってもらい、同時にそれが雑誌のための取材なのだった。満足して蕎麦を食べ、酒なども少々飲んでいい気持ちになったころ、政一に日吉丸までみんなが待っているからいこうと誘われる。私はいうがままになる。日吉丸は、民宿で居酒屋も兼ねている。
 日吉丸は山楽と同じ湯の花温泉にあるのだが、歩いていくにはちょっと遠い。どうやっていこうかと考えていると、日吉丸の母ちゃんがミニバスで迎えにきてくれた。日吉丸のお母ちゃんは離婚して一人暮らしなのだそうだ。政一の人間関係は、何故か私も知っている。
 日吉丸にいって、思いがけない顔ぶれに驚いた。宇都宮からインターネットの私のホームページを管理してくれている戸崎君と、 NHKの女性ディレクターの山崎さんと、今市のから家具職人のナベさんがきていた。それと政一の友人で、NHK仙台からきた佐々木君がいた。日吉丸のお母ちゃんは、熊汁をつくってくれた。もう飲めないのに、飲んだ。
もちろん翌朝私は七時半に起き、政一に連れられて館岩小学校にいったのである。