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盆になると故郷に帰らなければならない。
盆には、十万億土の彼岸にいっていた御先祖様が家に帰ってくるから、それをお迎えするために故郷の家に誰もが帰らなければいけないということである。
そのことを疑ってはいけない。帰らなければならない時は、帰ればよいのである。実際に休暇を取る口実になるのだから、悪いことではない。
今年の盆は妻にどうしても外せない行事があり、私一人でひとまず帰った。一人暮らしをする母を墓地に連れていき、彼岸から遥かやって来る父のために迎え盆をやる、盆の中日に妻がやってくるから、その翌日に再び母を墓地に車で乗せていって送り盆をするということだった。
私には盆に必ずしなければならないことがあった。ワッカの会の面々と会って、宴会をするのだ。日程を打ち合わせするためにヌマオに電話をすると、私だけが宇都宮にいった日曜日にまず男だけがヌマオの別荘に集まり、私の妻がきてから別の日改めて全員で街の居酒屋で宴をしようということになった。
ヌマオのトレーラーハウスは、宇都宮北西部の篠井の山里にある。団地の一画の私の家は、宇都宮南東部の郊外で、ちょうど市街地から対角線に位置している。車で小一時間かかるので、同じ市内にあるとはとても思えない。
その土地には教員をしていたヌマオの両親がかつて暮らし、家を畳んで宇都宮の街のほうに出る時、梅を植えていった。それが見事な梅園になっている。土地の半分は竹林だから、春になればおもしろいように竹の子がでる。近くの山にはいれば山菜が取れる。夏の梅と秋の木の子と、楽しみが一年中ある、よいところだ。
その日、私は至急書いてしまわねばならな原稿があり、どうせ一晩中飲むのだからと、午後三時頃にいった。すると昼頃から飲んですでに酔い、眠っている男がいた。ワッカの会会長のトオルちゃんだ。
一人最低一品は料理を持っていかねばならない約束だった。女たちが来ても料理は男どもがすることになっていて、いつも食材を買いすぎ、料理は分量が多くて食べきれなくなった。
私は家からそのへんにある酒を集め、車に積んできた。その上、スーパーで焼酎を一本買った。酒の量はとにかく充分である。私はこの夏に兵庫県の明石に講演にいき、卵焼きのセットをお土産にもらってきた。前夜明石の街で料理を鱈腹食べて酒をがぶがぶ飲み、最後に卵焼きの店に連れていかれた。その卵焼きは絶品で、うまいうまいと誉めたら、講演をした明石市青年仏教会のお坊さんたちが卵焼きセットをわざわざ買ってもたせてくれたのであった。
明石の卵焼きについて、少々うんちくを述べねばなるまい。明石の卵焼きは、大阪のタコ焼きの元祖といわれている。あのタコ焼きの原型が明石卵焼きだといったら、大阪タコ焼き派から異論反論がでてくるかもしれない。
大阪タコ焼きは小麦粉を水でとき、もしくはダシ汁でといてベースにするのだが、明石焼はその小麦粉のところに卵を使う。中にタコを細かく切っていれるのは同じだが、明石焼は焼き上がった丸い玉をコンブのダシ汁につけて食べる。このように、似て非なるものなのである。
大阪のタコ焼きについては、どこにでもあるからみんなイメージを持っている。しかし、明石焼については、食べたことのない人間はどう説明してもわからない。
「あのさあ、タコ焼きみたいなんだけど実は卵焼きでさあ、中にタコが入っていて、ソースや青のりや紅しょうがをかけるんじゃなくて、細かく切った葱を入れたダシ汁につけて食べるんだよ」
こういわれたところで、結局なんのことかわからないのだ。
私は食べたことが一度きりしかなく、しかも、酔っぱらっていたので、細かいところはうるお覚えである。もう腹がいっぱいなのに、明石の人たちはここの卵焼きが一番やといって、どんどん注文する。そんな経験と知識しかないのに、卵焼きセットをもらってしまった私が、見よう見まねで卵焼きをつくろうというのだ。はっきりしたイメージのない料理ほど危険なものはない。
材料は行きがけのスーパーによって買ってきた。お好み焼きの素(これでよいのかどうか自信がない)、紅しょうが、青のり、マヨネーズ(以上は大阪タコ焼きのイメージである)、天麩羅油、タコ、卵、と頭を絞ってようやくこれだけを籠に入れた。
卵焼きの鍋といったらいいのか、焼く容器は、鉄板ではなく銅板である。銅板は部厚くて、打ち出しで、全体が手造りだ。わけのわからない道具として使うより、飾りものにしたいくらいの職人の手製だ。四角形の金網と同じ型の台、ラード、ラードを塗る刷毛、といた卵を鍋に落とす(らしい)ステンレスのカップ、それにわら半紙一枚の説明書である。今手元にないので詳しく述べることはできないのだが、説明書は図入りで、細かな字でいろいろかいてあった。ことに銅製の鍋をはじめて使う時にやらねばならない手順が、るると書いてある。
説明書を読むのが面倒だというのが、年を取った証拠である。私は銅鍋に油をいれて洗うつもりで火にかけ、燃える燃えるといわれて、鍋を火からあげて油を捨てた。卵焼きだろうがタコ焼きだろうがどちらでもいいやと、お好み焼きの素を卵でとき、水で濃度を調整し、半球型が幾つもならんだ鍋に流して、その一つ一つにたくさんタコを沈めた。結果は大失敗だった。明石の人に申し訳ない。後日を期して、今度は冷静に対処する所存である。
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