お〜い栃木

イラスト:横松桃子
 NHKの「お〜い日本」は、午前中は十一時から十一時五十四分まで、午後は十三時から十八時五十九分五十五秒までの生放送である。全部で八時間の長時間番組で、私はゲストとして東京渋谷のNHKスタジオに坐っていなければならない。大変な重労働になるのだが、その日のテーマは栃木なので、故郷のためには大いにやる気満々なのであった。
 普段は何時何分にきてくださいといわれるだけなのだが、私はメーンゲストだからなのか、八時四十分にハイヤーが迎えにくる。九時にNHKにはいり、私自身は必要ないと思っているにもかかわらず、メイクなどをして、台本に目を適したりしているうち、時間になってくる。
 NHKではこの番組のために何人もの専門のスタッフが三ヵ月かけて準備をしてきたのである。私も何かと相談を受け、知っている場所やら人物を紹介し、雪降る栗山村に取材にいったりした。
 テレビにとって八時間は長いのではあるものの、その時間内に栃木を紹介しつくすことはもちろん不可能である。結局のところ、あれもこれもやりたいのだが、何を捨てるかということになる。
 何事でもそうなのだが、準備が大変なのだ。見えないところにどれだけ力をかけたかということが、成功の鍵となる。はじまってしまったら、あとは流れに身をまかせていくより
仕方がない。
 スタジオには東照宮陽明門の十分の一の精巧な模型が飾られている。
大正時代につくられたのを、借りてきたのだ。ここまでくれば文化財で、運搬するだけでも気を遣って大変であろう。メーンのキャスターは、川端義明アナウンサーと、永井美奈子さんだ。
 まずは台本どおりにはじまる。台本にはこう書かれている。

 川 おはようごぎいます。
 毎月一度、一つの県の魅力を八時間にわたって生でお伝えする「お〜いニッポン」。今日は、栃木県をとことん紹介します。NHKアナウンサーの川端義明です。昭和五十六年から六〇年までの四年間、NHK宇都宮放送局に勤務しました。いわば第二のふるきと栃木の魅力をたっぷりとお伝えしていきたいと思っています。ごいつしょしてくださるのは、おなじみ永井美奈子さんです。
 川端アナの宇都宮時代の写真
  (三十四鼓・昭和六〇年)
永(川端さんの写真の感想二言)
川 永井さんは栃木県というととんな印銀がありますか?
永 栃木県に行った時の印象、イメージをお話下さい。(東京に近
いがイメージが少ない、那須や日光は真っ先に思いつくが‥)
 川 「お〜いニッポン」今日一日のテーマは、「おたからいっぱ栃木県」です。栃木県には、意外な名物や知られざる日本一が沢山あるんです。今日はそんな栃木の懐の深い魅力をお伝えしていきます。

 ディレクターがコンピューターのキイボードをたたいて書いた台本なのだが、これだけのところに、栃木県とこの番組についていい尽くされているから妙である。
 五チームの中継隊が、華厳の滝、日光東照宮、二宮町いちごハウス、小山の気球、那須の牧場などから生放送をする。この五チームは距離と時間とが許すかぎり、県内各地を走りまわる。あっちこつちで食べたり、見物したり、湯につかったり、県内のほぼ全域をカバーすることになっている。
それでも放送から洩れる地域があ
りその時はあらかじめビデオテープをつくつておく。それでもなお洩れるところがあり、その際には、放送の前の数日間に関連の番組の再放送をする。編成の部局を巻き込んで、この数日間は栃木づくしになる。
 日本で最も古いリゾートホテルの日光金谷ホテルには、作曲家の船村徹さんがいっている。テレビを通してではあるのだが、私ははじめて船村さんと話す機会を持った。
 船村さんは私の本をずいぶん読んでいるのだとおっしゃり、私は恐縮してしまった。実のところをいえば、私も船村さんは作曲の流行歌を、カラオケでずいぶん歌っている。「兄弟船」などは、私の得意中の得意の曲なのである。
「立松さん、詞をつくつてください。ぼくが作曲しますから」
 船村さんはこうおっしゃるので、私はびつくりしてしまった。なんとも光栄なことである。番組中の公然としたところでいわれたので、私が了解したことは多くの人が知っているのだから、私は心をつくさなければならない。
 「お〜い日本」では、秋元康さんが作詞して、その県の歌をつくり、県出身者がオーデションで歌う。秋元さんが栃木のテーマとして選んだのが、なんと「桜杉」なのである。今市の日光杉並木の宿り木で、春になれば桜の花を咲かせる。
 オーデションで三人の歌手が決まり、バックダンサーに高校の男性教師たちが選ばれた。みんなが一生懸命に挑戦している姿を見ているうち、なんだか私は涙ぐましい思いになってしまった。番組の中で、不覚にも、ちょつと泣いてしまった。
 栃木の人は万事控え目で、過度の自己主張はなく、心の底からやさしい。つまり、桜を咲かせるために根と幹の役割をしている杉のような感じなのだ。秋元康さんは一瞬にして県民性を見抜き、歌をつくつた。
 これは私にも目が開かれたことであった。